ノイズレス

 恋する乙女の力は偉大なのだ。
 緊張感の中、お腹いっぱいに吸い込んだ息で、「この気持ちはなんだろう」の「こ」を「こ」にするため、口腔を、のどちんこを、声帯を震わせようとして止まったトール君の前に立つ。申し訳ないけど、ヤマダには退いてもらって(重かった!)
 左右に立ち並ぶ合唱部の面々も思春期とは思えない不ッ細工に口半開き。だって比喩でもなんでもなく時間が止まったから。隣のアッコのスカートめくって、さらにはちょっとあまり気味のお腹を、むんずと掴んだり揉んだりしたのに、悲鳴ひとつあげないんだから間違いない。
 恋する乙女の力は偉大なのだ。
 高校生活最後の夏。Nコン地区大会当日。ステージ上。歌い始める瞬間。この最高のシチュエーションで時間が止まる僥倖! 誉めて誉めて! わたしを誉めて! って、動いてるのわたししかいないけど。
 さぁするぞ。意図せぬ歪みを見せた瞬間で止まった、わたしが一番好きな表情のトール君の唇を奪ってしまうぞ・・・
 静かな大ホールをわたしの衣ずれとわたしの吐息が仄かに揺らす。
 恋する乙女の力は偉大なのだ。

超短編 500文字の心臓
第78回競作「ノイズレス」参加作

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