EVERY SINGLE DAY

 なにも好き好んで他人様の家不幸にしてるわけじゃないんですよ。こちとら北は蝦夷地から南は琉球の頃、つまり四百年とかそういうオーダで「イソウリスト」として仕事させてもらってるわけですから、むしろ、一流の目利きと評されて然るべきとの自負を持たせてもらってます。
 そりゃ、若い頃にはひとつやふたつ、見立てを誤ったこともありますよ。お釈迦様じゃあるまいし、産まれたそばからプロフェッショナルだったわけじゃあないですよ。やっぱり最後にモノを言うのは経験ですからね。どれだけ良いモノを見たか。それをどれだけ自分の中に蓄積したか。この二点に尽きますねぇ。
 ええ、だから失敗だって全部覚えてますよ。たとえばアレはどれぐらい前だったかなぁ。たしか、まだ京都に都があった頃だったかと思います。そう、若い頃にね。きかん坊のガキンチョにずいぶんと気に入られたことがありまして。今ならああいうのは愛情表現の裏返しだってこともすっかりわかってますから、とくに気にも止めないんですけど、その頃はまだわたしもぺーぺーなんてもんじゃないくらいでしたから、いや、そんなふうに年寄りからかうもんじゃあないですよ。これはただの若作り。で、なんの話でしたっけ? はいはい。それでね、いろいろあってその家飛び出したんですよ。いっそ潰れてしまえばいい。縁を切った! なんて、今思えば若気の至りにもほどがあるんですけどね。
 どれぐらいでしたっけねぇ。そうたしか、誰もいないの見計らって居候に伺ったのに、ピーだのブーだの鳴って、人を泥棒扱いするようになったぐらいでしょうか。えっ? 最近なんですか。へぇ。もうね、この歳になると今のことも昔のことも全部同じぐらい懐かしい過去なんです。どうもこう歳を取ると、話が脱線しやすくてね。すみません。そうそれで、なんの気の迷いだか自分でもわからないんですけど、フラッと戻ってみたくなったんです。その土地というか家に。もともと家から家への流れ者だから場所に執着なんてないんですよ。だから余計に、なんとなくとしか言い様のない思いに駆られてしまったんです。その家で、そりゃもう建物まるっきり違いましたけど、土地神様がご健在でらっしゃったから、すぐにわかりましたし、それにね、わたし、一歩入ったらわかったんですよ。空気だけはあの頃のままだったので。でもまさか、あのきかん坊そっくりな顔に「おかえり」だなんて言われるとは思いませんでしたけど……
 いつまでもこんな若作り通じないとわかってはいるんですけど、性分と言いましょうかね、一期一会が性に合ってるんですよ。心根が「婆ァ」になるまでは、なんとか「イソウリスト」としての仕事を続けさせて頂こうかと思っております。ええ。

「へんぐえ」参加作
Photo:Unaru Bacteria

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