Innocent Love

「群青」
 こないだの事故から物や図形を上手い具合に理解できなくなってしまった。医者から小難しい説明を受けたけれど、正直よくわかっていない。とりあえず僕は、物や図形に立ち現れる細やかな色差や色相だけは辛うじて理解できるので、せめて彼女を彼女と識別するため、色差や色相の認識に努めた。
「ファ ド ファ シ ラ」
 秋の空ほどじゃないけれど、気まぐれに移ろう彼女の表情は、だいたいいつも穏やかな紅藤色なのだけれど、感情に応じて色差だけに留まらず、色相さえも変化した。僕は迂濶な言葉で何度も彼女を空五倍子色に変えてしまったし、彼女は彼女でその瞬間その瞬間、自分が何色なのかをひどく気にして僕に確認した。
「鴇色」
 だからなのかもしれない。彼女は住んでたマンションの屋上から飛び下りた。
「シ シ ラ シ ド」
 ここまで説明すればあとはもうわかってもらえるだろう。今の僕にとって言葉や概念、観念や定義なんかはよくわからないあやふやなモノで、こうして意味順番に並べていくと、とてつもなく疲れてしまう。おそらく、そう遠くない未来に僕は色差や色相すら区別できなくなって、世界は水で薄めすぎた絵の具のように滲んでしまうだろう。
「利久鼠」
 それでもかまわない。
「レ ファ ラ」
 僕と彼女は、事故をきっかけに僕と彼女だけのルールにしたがって、僕と彼女だけの方法でコミュニケーションを図っているから。色と音を直接、等価に交換できるから。
「縹色」
 カラーパレットも五線譜も、もちろん中間言語だっていらない、サイケデリックに美しい、曖昧に滑らかな僕と彼女だけの。

雲上の庭園」掲載作

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