バタフライ効果

 短さが蝶であるならば、アタシが紡ぐこの物語は蛹だ。如何様の解釈をも導く、物語の物語による物語のための蛹だ。
 つまり、短さが種であるなら、物語は蕾で、解釈こそが花だ。花にはさらに蝶が集まり、また花が咲く。
 そして風が吹く。短さは吹き荒ぶ嵐ではない。一陣の風だ。疾風だ。春を呼び、夏を招き、秋を愛でるし、冬を慈しむ。
 もしくは、寄せて反す波。短く、しかし広大なる海。すべてが存在し、すべてを奪う海。想像できるすべてを実現できるのが現実ならば、無を存在させられるのが短さだ。受け取るだけではなく、短さには受け取れないことへの覚悟が伴う。
 だから、宇宙とも均しい。果てしなく広がり、何時か縮むことが定められている宇宙は、短さの中でこそ多元的な顕現を可能とする。
 常にアタシは望む。まだ見ぬ貴方に、せめてこの物語だけでも届くことを。願わくば、幾度か打ち寄せることを。短さは言葉を超える。文化を越える。時を越える。空間を超える。未来の何処かで貴方の魂に届くと信じる。
 短さを信じる。

超短編 500文字の心臓
第174回競作「バタフライ効果」投稿作

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