序曲

「たしかに、これは『売れる文章』かもしれないけど『揺れる文章』ではないです」
 言って、目の前の人は読んでいたタブレットを置き、コーヒーを飲んだ。
「売れればいいです。売れたいですから」
「なら、ウチじゃない方がいい。ちゃんと売ってくれるとこに卸すべきです」
 目の前の人は、いくつか会社名をあげる。その内のいくつかとは取り引きがある。
「『売れる文章』は技術に因るから、誰でも書けます。でも、『揺れる文章』には『あなた』が必要なんです」
 一瞬ドキッとして、すぐに論理的ではない動揺と気づく。
「わたしは、作家性とか文体とか要らないです」
「ちょっと違います」
「違わないですよ」
 レモンを浮かべた紅茶は、顔が映らず安心して飲める。
「表意文字を使う民族だからアレですけど、人間の用いる表現技法の中で、人間性や身体性が乏しいのは文章表現です」
 話の飛躍についていけず、わたしは相槌すら打てない。
「だから、行間読まなきゃ理解できないんですけど、『あなた』が命削って書いた文章は行間溢れて、読者の魂まで届き、揺らします」
 イタい人だ! 思うと同時に、揺らしたい、揺らせてない自分にも気づく。

超短編 500文字の心臓
第143回競作「序曲」逆選王作

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