野音のステージ向かって真反対にある雲形池か波立つ話

 今日も今日とて、我が池は波立つ。波立っている。とっぷり日も暮れ、鳥たちもすでに帰路に就いたから、波は彼らに起こされない。おはようまでに時間はある。有り余る。
 どうやら人間どもはこの拍動を、波を、「ビート」と呼んでいる。甜菜ではない。天才でもない。刻まれしモノとしてのビート。
 記憶を辿ると1995年初夏だ。白人の神の暦で。「サマージャム'95」と聞こえたので1995年は間違いない。たぶん(編注 実際は1996年)
 その日は晴天だった。今までに無い揺らされ方をした。過去一番の低周波だったのを覚えている。

 次の週は土砂降りだった。だから波が雨粒を喰らわんばかりに跳ねていたと覚えている。
 同じように低周波が波立たせていたが、雨に相殺されて一番になり損ねた。ただ、そこにいた人間の声の多さで記憶されている。響き。
 この週は全周より多かった。男達が鬼気迫らんばかりに吠えていた。反抗する魂の欠片が、雨粒となって降り注ぎ、波を砕いた。
 けれども波は我では無く、我は砕かれず。波はまた起こり、夏を記憶し続ける。

野音のステージ向かって真反対にある雲形池か波立つ話」を改訂

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