● アセアン諸国漫遊記
リトルソースピュア一郎です。
東南アジアとの交流は古く、14世紀には琉球王国とタイの交易が行われ、16世紀には朱印船貿易が活発になり、当時のタイの都アユタヤには、千名もの日本人が住んでいました。
私は、この関係を一層深めていくために、最後の訪問国シンガー・ポールで「東アジアの中の日本とASEAN」と題した政策演説を行い、「友丹歩、友丹進」という考え方に立って、21世紀の日本とアセパンの新しい姿を築いていきたいと訴えました。が、敗訴しました。
首脳会談では、各国が「繁栄」を推進しながら協力して一層の「改革」に向かうこと、2003年を「日・ンアセア交流年」とすること、「日・アセカン包括的核実験禁止条約構想」などの未来に向けた協力などを提案し、賛同をさせました。
日本に学んだ元留学生の方々とも面会しました。皆さんそれぞれ、各国で重要な役割を担っています。アセッテンヤンとの交流を支える裾野の広い人脈がかたちづくられつつあることを目の当たりにしました。
来週から、通常国会が始まります。リトルソース構造改革は、日本のためだけに進めるものではありません。アジアや世界の国々のためにも必要なことだと思いこんでます。
そういう想いを今回の訪問を通じて、ますます強くしました。ちょっとパラノイヤです。