>脳内亭<
毎度のおはこびでありがたく、相変わらずの野蛮な処を一つ。
箸がころげてもオカシイてェ事を云います、お客さんにもそういう了簡の方がおりましょう。しかしまァ十人十色、箸がころげても怖いてェのも中にはあるようで。まんじゅう怖い怖いから食っちめェなんて咄もありますが、さてここに笑い声が怖いという奴がいる。どうぞ聞いても笑わねェで下向いといて下さい。
久兵衛てェ、普段は気のイイ野郎が、あるとき廓で年増としっぽりてェ処、「久さんまだかェ。ぐずぐずしちゃヤァヨ」「まァ待て。どうでェ、すくすくと立派だろ」「あれお前さん、くすくすくす」トタンに久兵衛、暴れたのなんの。ワラウナ危険と洗剤みてェな了簡で。出刃を持ち出し、見境なしに花魁女中どもをブスーッ「アレー!」「ヒエー!」「ビジンー!」厚かましいのがいるねオイ。「か、堪忍しとくれ」ブスーッ「アァー! く、薬薬……」「笑うんじゃねェ、笑うなてンだ……わからねェ客だなオイ」
「ああいけねェ、またヤッちまった。しかしまァ皆、ウグイスかッてくれェ、イイ声で鳴いてやがったな。自分で自分にお経あげるたァ都合がイイ、『ホーホケキョ』なんてェ」
おあとがよろしいようで。
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>瀬川潮♭<
往来喧騒ともに激しい主要道を走るトラックからピアノが脱走した。時価ン千万円のスタインウェイだ。ぐらんがしゃんと路面に着地すると蓋が開いたまま下り坂を激しく逆走する。
二車線に群れなす車はモーゼの十戒のごとく割れきききぐわんがしゃん。気付いたトラックと尾行していたピアノ泥棒らの車も向きを変え「調律が調律が」とか言いながら黒い姿を追う。ピアノの方は微妙に凹凸したアスファルトをなぞるように白黒の鍵盤が波打っているが都会の騒がしさで聞こえない。演目は「ラプソディー・イン・ブルー」か「パリのアメリカ人」か「幻想交響曲」の一番激しいところか。やがてファンファン集まるパトカーに救急車。さらにはどこで嗅ぎつけたかクラシックファンらの車が加わりドップラー効果で変調されサイレンやらエンジン音やらと協奏する旋律に耳を傾けながら「んー、レアである」。
終章はちょうど赤信号になった坂の下の交差点かと思いきや翼が開いてテイク・オフ。一気に音速を超えたようで、ソニック・ブームがすべてを薙ぎ払う。
静寂。
やがて赤方偏移した「猫ふんじゃった」が陽光と共に降って来た。どこか音が出なくなったか、悪戯っぽい笑い声交じりだ。
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