>瀬川潮♭<
いつの間にか、道路にカニがいた。右のハサミは小さく、左はドリル。カニと言っていいのか不明だが、ドリル以外は普通なのでカニでいいはず。ちみちみちみちみとうるさい。
いや。この音はカニの鳴き声ではない。熱いアスファルト上の水が蒸発している音だ。ちみちみと周りの水がはかなく消えていく。
しかしこの水、よく見たらカニが口から吐いている。泡になっていない。そういう種なのか、この異常な暑さのせいか。
どちらにしても苦しいらしい。狂ったようにドリルをアスファルトに突き立てた。ちみみみみ。穴は空かないが懸命にちみみみみ。
ああ。
腕がドリルになっている者は所詮働いて働いて働き抜くしか道はないんだなぁ。そして働いた末、力尽くのだ。ほら、もうちみみみいわなくなった。最期のちみちみだけ聞こえる。
「千笑美は笑わなくなったね」
そう言われるようになった。それでいい。失恋した私に笑顔はいらない。私はどのみち、働いて働き抜くしかないのだから。名前に合わないなら笑の字を取ってもいい。
固く決心し左腕のドリルを振るう。休憩は終わり。気に入ったので口でちみみみ言う。
玉の汗が一つ、落ちる。
アスファルトは熱く、ちみ。
|
|
|
>白縫いさや<
十年の歳月をかけ、ついに男は生きたミニチュアを完成させる。その外見は、手の平に収まるサイズの真っ黒な半球型ドームであるが、その中には極めて精巧緻密に作られた街が存在するのだ。胡麻粒の大きさもない一万の歯車が偽りの天球を巡らせる。街に据えられた人形の一体一体は、体内の仕掛けによって商売し、田畑を耕し、恋をして子を孕み、死に、人形たち自身の手による葬式にて葬られる。そして街の隅にある屋敷の二階では、生きたミニチュアを作り続ける男が、今まさに最後の作業に取り掛かろうとしているのである。
「さあ行こう、街の外へ!」
ドアを開け放ち、男は妻へ十年前の約束を高らかに述べる。衣服を鞄に詰め込み、妻の寝室へ赴く。しかし綺麗にしつらえられたベッドには埃が薄く積もるのみ。
妻はどこへ。隣人に尋ねるも、皆男に白い目を向ける。
墓前で男は永い黙祷から目を開ける。ふと気付けば巨大な夕陽が目の前にある。しばらく、ぼう、としていたが不意に慌しく辺りを見回し始めた。これはずっと見てきた景色に変わりない。少なくとも俺にはそう見える! しかし。
男は天球の彼方に存在する黒い双眸に気付く。極めて、無機質な。
|
|
|