祝!映画館再開!!!
ってことで、シネマカリテじゃないと見れないかと思ってた「
21世紀の資本」を新宿ピカデリーで見ました。
もうこれは革命しかないな!って気で途中まで見てたんだけど、いや待て。結局、社会主義革命だのはこの映画のなかでは、むしろ、ハッピーな世界での出来事なのだよ。
資本主義の歴史が丹念に説明されていて、近現代史の解釈として目新しいというか膝打ちまくり(とくに第一次大戦とオイルショックまわり。PJの「彼らは生きていた」は、サブテキストだね)なんだけど、20世紀になって説明が飛躍したところが2カ所ある。
日本とドイツの経済的勝利の理由と、GAFAが資本にまわった経緯。
前者は、それでもまだレーガンのところで軽く説明してるけど、どうしたってこの文脈だと富の再分配では0からスタートの日独にスピードで勝てなかったように見える。
それは本意ではないだろうなぁと思いつつも、しかし、小泉構造改革ぐらいからはリアタイで見ていたから、規制緩和が適切な判断だったか?と問うならばNOと言える。
わかりやすい敵は竹中平蔵だ!
しかし、作中にもあるとおり、自由主義は格差を生むのであれば、資本が自由を求めた結論としての格差って当然のものでもある。
だって、自由なんだもの。
GAFAを悪く言うのは個人的にあまり良いと思っていなくて、インターネットにいる以上は国家じゃなくインターネットに対して彼らは納税すべき。と信じるSF信者なため、国家に縛られるのは愚かしいと考える。でも、驚くべきことに、
人は国家を見捨てない。この期におよんで、なお。
であるならば、売り上げ割合での課税を求めることを否定もできない。
まるで作中ギャグパートのように挿入されるアダム・スミスが
「
大きすぎて潰せないを理解できない 」
という件は、逆説的に大きかろうがなんだろうが潰すべきは潰すことを許容しないと、富は再分配されないことを示している。
潰れる自由を!
数年前に「第一次大戦と世界情勢が似ている」と、いくつかの週刊誌の記事になっていたけど、この映画で描かれていたのは、格差による破綻は戦争を呼ぶ。争いではクタクタになるだけだし、そこで失われる資本は1/3に過ぎなくて、別に僕らのものにはならない。そうでなければゴア描写的に死体を映す必要はない。
でさ、相続税推進派的には、やはり、相続が問題であると繰り返すなら相続税で回収する画期的なシステムが必要なんじゃないかと考えるわけです。相続税たいしてかからん人間としては。
なにせ、家も土地もあるけど赤平だ!
社会投資させる的なことは出てきたけど、そもそも、今の構造が望ましい人たちは、社会全体が良くなれば良いとも考えないのでは?
実験の通り、自分が幸運とは考えないのだから。
むー
その辺の歯痒さみたいなのも残るところ。
まぁ、経済学者の範疇ではないし、作中これもまた言及されているとおり政治の問題なのだ。
感染症対策が専門家の領分で、それに伴う経済施策が政治の範疇なのと同様に。
ともかく、脳味噌がグルングルンする面白い映画でした。
どうしたって俺アナーキストだから政府とか国家とか無くしてしまえ!とか、これじゃアルカイダが正しいじゃないか!とかも行き着きたくなるところではあるけど。
それにしても、なんてサンプリング映画だろう。
ちなみにちなみに、一番笑ったのは「いすゞ」です。
ヤベェ!まだGMと普通乗用車作ってた頃だ!!
あと、パンフ見て、高橋洋一が日本の税制を肯定していてビックリした。
にしたって、株式市場と実体経済が連動しないことに、ここまで実感を抱ける時代になるとはねぇ。