白黒?とは思いつつも、艶やかな濃淡の予告編からしてすでに名作感溢れている>恐ろしいまでの98分「
ベルファスト」見ました。
なんかキャラの強い客が多かったのだけど、劇中もなかなかキャラが濃いい。
が、そうだよね。
田舎の人間って大概キャラが濃いいよね!
メラニーさんが
アトロクのアカデミー予想で作品賞取って欲しいと言っていたのは心から同意。
しみじみ良い映画だった。暫定今年ベスト。
一般論的には家族の映画だし幼年期の終わりな映画なのだけれど、しかし、本物の田舎者であるところのU・B的には、
やはり田舎の映画なのだ。
田舎を出て行く映画。
祖父のポップが炭鉱夫で、(おそらく)じん肺で亡くなるのも、他人事とは思えない。
いや、身内に鉱夫はいなかったけども、近所にはいた。たくさん。
あの亡くなったことを伝えるシーンの手際の良さといったら、人が亡くなった場面に対して不謹慎かもしれないけれど、お見事と言わざるを得ない。
んで、通夜振る舞いというか、葬儀後のパーティを見るにつけ、文化の違いと、
冠婚葬祭こそが祭だという人類共通の感慨。
ちょっと新しいなと思ったのは、田舎に留まりたいのが父親でなく母親であること。
え〜、あんなエロっちぃお母さんが、そんな保守的ってことある?(思想が貧困)
カトリーナ・バルフって、1979年生まれなんですよ。てっきり歳下かと思ってたよ。ビックリ。いい女だわぁ。
違う。
なにはともあれ、バディ as ジュード・ヒルがめんこい。狡い。ワシもあんなめんこい子に生まれたかった。狡い!狡い!
パンフのインタヴュでグラニー as ジュディ・デンチも褒めてたけど、ジュード・ヒルが今後どのような役者に育つのかは、俄然興味があるところ。
あんだけめんこいと、素直に育って欲しい気はするが、
荒んだ人生を送ってくれても良いぞ(待て)
ある意味、バディはピュアの象徴なので、そのままの意味で解釈すると、ケネス・ブラナーは己の子ども時代がピュアだったと語っているわけだから、
それは恥ずかしくないか?とは。
でもさ、北アイルランド紛争の激しさって、ちょうどこないだ「
紛争でしたら八田まで」で読んだりもしたし、なにかの酒の本を読んでいる時にちらっと出てきて、ふぅ。と思ったのだけど、
非キリスト教徒にしてみれば、心底本当にくだらないなぁと。
プーチンもそうだけど、
自分の信じることのために他者を排除するのは、とても愚かだ。
己のことは己の中で解決されるはずなのだから。
その直前に、人は月に降り立ってるんだぜ。
21世紀も20年以上経つのに、20世紀の、19世紀の、紀元前の思考を引きずるのは止めにしないか?
先祖がどう思ってるかなんて、どーでもいいだろ。死んでるんだから。
閑話休題。
何カ所かたまらなく泣いてしまうシーンがあったのだけれど、やはり一番はグラニーが
「
行きなさい。過去を振り返ってはいけない 」
と言う場面に尽きる。
この台詞、ジュディ・デンチの表情だけな芝居が背筋に電気が走るぐらい絶品。
しかし、バディが振り返るのも素晴らしい。
そこにある相矛盾した思いは、どちらも愛である。
祖母として、母として愛する家族が離れることへの寂しさを、安全と引き換えに生き延びてくれる幸福に読み替える決意であり、子や孫への信頼の語であると同時に、孫は、残された祖母の未来と愛を思う。
海を渡るとはいえ、同じ国の中で、ちょっとで帰れる距離であっても、争乱の渦中では絶望的に遠い。
やはり、この点でも自分と重なる部分がある。
そんなに家族が好きか?と問われると悩ましいところではあるのだけど、自分が家族を持つ可能性が低い中で、決して仲が悪いわけではない家族がいるのは、有り難いとも思う。
んで、オープニングとエンディングの空がたまらなく綺麗な映画。
劇中で、カラーなのは映画と現在のベルファスト。
白黒とカラー。
いずれにおいても、明度・コントラストが、たぶん、暗い過去でも未来は明るいと唱えている映画。
そうそう。エンドロール見てビックリしたのだけれど、ヘアメイクに吉原若菜。
日本人がこの映画に絡んでいることが、また意味深い。