雑感・レヴュ集
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映画

作品名記述者記述日
CASSHERN唸るバクテリア2004/05/06★★★★

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聖書によれば、人は土から生まれたと言うが、精液だし、羊水だし、やっぱり人は水から生まれるのだと俺は思う

物語の中心にはいつも水がある。
60年代SF的文法に則り、科学者は白衣を着て、試験管で意味不明な液体をブクブク沸騰させる。
意匠的にも意図的な雷が落ちて、「新造人間」たちは水より生まれる。もちろん、主人公も水の中で命を(望まざるとも)取り戻す。
雨とは少し形が違うものの、雪が「新造人間」たちの道を塞ぎ、雪の向こうに帝国を建設する。
「新造人間」たちは仲間の死に涙を、挙げ句の果てに血の涙を流す。
「イデオン」的演出の上、たどり着いた先はそう、水の惑星だ。

日本において、白のイメージは「清浄」である。
キャシャーンの纏う装甲は白い。隠れて彼女もかなり白い(だから黒い服を着ている)。そういう演出がされている。敵のボスも白い。髪も肌も白い(だから赤い服を着ている)。
スクリーンの照度は常に落とされているから、脳内で再生される映像は白みがかっている(だから街はほのかに黄色くなっている)。

最後にネタ晴らしされるが、この物語は再生の物語である。
極めて日本のアニメ的なモティーフだ。
だって、原作アニメだもん。
その通り。
だけど、その中で監督はなにを意図したのか―
タイトルから消されてしまったフレーズ。・・・「新造」

原罪を背負っているからではないが、日本のアニメは最終的に「人間の否定」に行きたがる。だから、敵の理論が正論となり、本来ヒーローに守られるべき人間が悪となる。
この構造は真っ当な形でこの映画にも受け継がれている。
けれど、否、だからこそ、最終的には「生」を肯定しようとして物語は終わる。

血が付着したキャシャーンは、まるで新生児のようだ。
そう、彼は常に生まれるのだ。
だって、新造細胞はどんな臓器にでもなるのだ。たぶん、理屈上は死なないはずなのだ。
死なないためには常に生まれるしかない。しかし、それはとても苦しい。
それでも、死んでしまうよりは生きて苦しんだ方がいい。とてもエゴイスティックな欲望でも、生きるためなら、いい。

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