雑感・レヴュ集
メタセコイア
映画

作品名記述者記述日
ニュー・シネマ・パラダイス唸るバクテリア2004/01/02★★★★

本文中のリンク先には、アフィリエイトを含むことがあります。ほぼお金になってないですけど。

年寄り臭い話をしよう。そう、映画は娯楽の王様だった・・・

いや、U・Bこれでもまだ20代(UP時)なんで、そんな時代のこと知りませんが、それでも話だけは聞いてんですよ。
そもそもですね、U・Bにはいくつか憧れめいたというか、コンプレックスめいたモノがあって、たとえば60年安保から70年フォークまでの、とっても青臭いけどもしかしたらなんとかできたかもしれない時代や、最近だとインターネット創世記の、誰でもワンアイディアでトップに立てた時代。そゆのにもの凄い憧れるんです。ひとつもそういう時代性に乗れてないから。

空虹さんはこんなこと言ってましたけど、たしかに、そのうらやましい他者は違うステージにいるわけですよ。
タイムマシンでもできなければ。
タイムマシン欲しいなぁ。
そう思わせる映画。

淡々と、とどまることも濁ることもなく、清く流れる3時間(完全版を見ました)。
何故なら、当事者ではなく、既にできあがった歴史を追うから。
当事者以外は真実を知らないし、知る術もない。だからできあがった歴史は綺麗に流れている。
キスシーンは神父によってカットされ、主人公は年月を跳躍して大人になる。
真実は目の前にあるだけで、なにが消されたのかはわからない。
けれど、人間には想像力がある。だから、あり得ないと知っている、もう一人の自分に嫉妬するのだ。

U・Bの思想信条から行けば、この少女マンガど真ん中的な「夢」をとるか「愛」をとるかストーリィにおいて、その選択を主人公ができないのは腹立たしいのです。
主人公が物語の中で「父親のように思っていた人」と形容した映画技師アルフレードは、その2択を主人公には気づかれないように決めてしまった。
だから、主人公はアルフレードが死してから知った事実に腹を立てる。
だって、「愛」をとっていれば、心から愛する人と一緒にいれたのだから・・・
しかし、他者であるU・Bは知っているのです。
もし、ホントに「愛」を選んでいたとして、愛する人と今でも一緒にいれるのだろうか?
少女マンガにしろ恋愛小説にしろ、その可能性を考察する主人公を寡聞にして見たことがない。
人の心は移ろいやすい。たとえ自分がどんなに頑固であっても、「愛」は、人への「愛」は心が通い合い続けなければ存在しない。
だから、アルフレードは「夢」を選んだ・・・
けれどまぁ、この解釈は間違ってんですよ。それが最後の最後。主人公の「宝物」によって解かれる。
そう、主人公は、もっともっとずっと前から自分で道を選んでいた
何度も何度もアルフレードはその道に進まないことを勧めていた。
それでも主人公は進むと決めたのだから、父親はそれを見守るしかないし、それを成し遂げさせねばならない。
だから、アルフレードは「夢」を選んだ。
それは、もともと主人公が選んだ道なのだから。どんなに大きな嘘を付いたとしても、それが主人公の選んだ道なのだから。

AVだとしても、キスは愛の象徴だとU・Bは信じている、案外ピュアな人なのです。
そう、あの最後のあのフィルムには愛が溢れている。
純粋な好奇心の愛が。
夢にまで憧れた愛が。
死んでもいいと思えるほどの愛が。
人への愛。映画への愛。夢への愛・・・
だからきっと、主人公は最後に泣いたのだ。アルフレードの愛がわかったから。自分の愛がわかったから。

映画は好きかい?

広告

BACK

雑感・レヴュ集 メタセコイアBANNER
(C) Copyright Unaru Bacteria,2004
e-mail bacteria@gennari.net