作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
ニュー・シネマ・パラダイス | 唸るバクテリア | 2004/01/02 | ★★★★★ |
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いや、U・Bこれでもまだ20代(UP時)なんで、そんな時代のこと知りませんが、それでも話だけは聞いてんですよ。
そもそもですね、U・Bにはいくつか憧れめいたというか、コンプレックスめいたモノがあって、たとえば60年安保から70年フォークまでの、とっても青臭いけどもしかしたらなんとかできたかもしれない時代や、最近だとインターネット創世記の、誰でもワンアイディアでトップに立てた時代。そゆのにもの凄い憧れるんです。ひとつもそういう時代性に乗れてないから。
U・Bの思想信条から行けば、この少女マンガど真ん中的な「夢」をとるか「愛」をとるかストーリィにおいて、その選択を主人公ができないのは腹立たしいのです。
主人公が物語の中で「父親のように思っていた人」と形容した映画技師アルフレードは、その2択を主人公には気づかれないように決めてしまった。
だから、主人公はアルフレードが死してから知った事実に腹を立てる。
だって、「愛」をとっていれば、心から愛する人と一緒にいれたのだから・・・
しかし、他者であるU・Bは知っているのです。
もし、ホントに「愛」を選んでいたとして、愛する人と今でも一緒にいれるのだろうか?
少女マンガにしろ恋愛小説にしろ、その可能性を考察する主人公を寡聞にして見たことがない。
人の心は移ろいやすい。たとえ自分がどんなに頑固であっても、「愛」は、人への「愛」は心が通い合い続けなければ存在しない。
だから、アルフレードは「夢」を選んだ・・・
けれどまぁ、この解釈は間違ってんですよ。それが最後の最後。主人公の「宝物」によって解かれる。
そう、主人公は、もっともっとずっと前から自分で道を選んでいた。
何度も何度もアルフレードはその道に進まないことを勧めていた。
それでも主人公は進むと決めたのだから、父親はそれを見守るしかないし、それを成し遂げさせねばならない。
だから、アルフレードは「夢」を選んだ。
それは、もともと主人公が選んだ道なのだから。どんなに大きな嘘を付いたとしても、それが主人公の選んだ道なのだから。
映画は好きかい?
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