ちょいとスケジュールがタイトだったんだけど、
「
ホアキン・フェニックス見たいでしょ? 」
と問われれば、
「
おうよ! 」
と答えるし、上映時間が108分とコンパクトなので、映画「
カモン カモン」見ました。
信頼のA24&みんな大好きマイク・ミルズなんだから良い映画に決まっていて、良い映画なのだが、これの良さを認めるには
僕が幼い。辛い。
子どもは親の鏡的ではあるのだけれど、実際問題、これは再生と成長の話だ。
何度でも再生し、成長できるのだから未来へ進むしかないという話だ。
「カモン」は「来い」ではなく。「行く」だった。ビックリ。
もちろん、見ている間中、甥っ子たちのことを考えていた。
このホアキン・フェニックスは俺じゃないか?辛い。
なんだこの映画。
マイク・ミルズに狙い撃ちされる俺の気持ちが、お前にわかるか?
わかるはずがない。なにせ、
わからないという映画だ。わかろうはずがない。
わかってたまるか。
ラストシーンで、たまらなく泣きそうになって、隣のおねぇさんは泣いていた。
たぶん、「何故」を説明できない。もしかしたら、物語の終わりだからかもしれない。
いや、きっと、だからだ。
おそらく自然体で吐き出されたろう、しかし、狙い澄まして配置された移民の子どもたちの発言がグサグサと刺さる。
彼らほど大人になれないまま俺は40歳になった。
そんな言葉を、生業としてたくさん集めていたジョニー as ホアキン・フェニックスは、自分の甥っ子ジェシー as ウディ・ノーマンの行動に、言葉に振り回される。
どこまで行っても他人事だから、己のこととして引き受けてからようやくはじまるのだ。
いつまで経っても引き受けられない俺はどうするばいい?
幸福にも、母はまだ生きている。妹は2人いる。甥っ子にいたっては4人だ。
これを俺の映画として引き受けるには、ジョーカーみたいな狂気に身を焦がさなきゃならないんじゃないかという幻想に戸惑う。
唯一、録音が安寧となる。
自分の声は機械を通して他人の声になる。
耳で聞いたはずの音が、機械を通すことで脳味噌のフィルタをすり抜けて届く。
忘れていたリップノイズに泣きたくなる。
「思い出させてやる」と言い切る度胸もない。
好きな娘の顔だって、油断したら思い出せない。見間違える。
でもきっと、この映画はもう一度見る。
いつか、どこかで。
にしても、ウディ・ノーマンは凄いぞ。
こんな子役がいてもいいのか?ってぐらい凄いぞ。
この子だけでも見る価値充分。
クロエ・コールマンといい、今年見た子役は凄まじいぞ。