「
フェアウェル」見ました。
「竹田の子守唄」か!
わからんかった!悔しい!!!
そうじゃなく、オークワフィナ目当てで行ったら、まんまとA24配給で、今年何本目だよ!ありがとうございました。
テロップがまさか制作会社名まで漢字で、そうだった!中国は競馬馬の名前も漢字だった!!
ってそういう話じゃなく、主人公と言い切ってしまうけど、あのおばあちゃん(ナイナイ)の言動を見ての印象は、
「
ああ、この人知ってるわ 」
でした。
もうちょい具体的に言うと、ウチの母方の祖母。
つまり、作中出てきた言葉なら「東洋」のおばあちゃん像なんですよ。アレは。ステレオタイプな。だから、赤平のばあさんと長春のばあさんが重なる。
見に行く前に
さえぼー先生の感想がブログ出てて、チラ見して止めたんだけど、その論で行くと祖父母・孫は劇にできないんじゃないかと。
つか、「家父長制的で共同体主義的」と書かれてるけど、実は単純に「田舎あるある」なんじゃないかなぁと。
> 西洋中心的だとか批判され得るのでまあできなかったのだろうと思う
って、さえぼー先生の指摘は正しくなんだけど、コントラストとして、西洋・東洋ではなくて「家父長制的」だろうし、やはり田舎的なんだろうなぁ。アメリカであれば南部が舞台であれば似たような話になる。家父長制は、東洋の伝統芸能ではない。
まぁ、田舎=家父長制的で共同体主義的だって話でもあるんだけど。
さえぼー先生のブログで引用されてる「中国政治のメタファ」ってのは、香港に住む人だからこそ感じた指摘だろうけど、旧態依然に満足してる人へ必ずカウンタを放たなければならないって義務は、誰もが背負っているわけではないかなっていう。
で、話逸れたけど、終盤、オークワフィナの全力疾走があったので俺の映画観としては名作決定ですね。
主人公が街を全力疾走するか、自転車漕ぎ倒すのは名作の法則。
オークワフィナの、いかにも運動不得意そうな走り方含めて最高でした。もちろん、
そこはタクれよ!思ったけど。言葉の問題?
そう。いちいちしょうもない笑いが入ってくるのがミソ。もしくは
監督の照れ隠し。
ラスト直前の病院から出てきたとこなんて爆笑なわけですが、あの辺は監督の趣味だろうに、嫌いじゃないぞ。
とはいえ、そのせいでちょっとまとまりがないというか、なんだかよくわからないものになっているかと。
中国国内ならともかく、中国以外の外国人には写るものすべてファンタジーなので、結局なんのメタファかよくわからなかった雀(不安の象徴であれば、最後の大量に飛び立つ鳥で解放と読む?)とか、いらんかったんじゃないかと。
そもそも、オチがアレだからな。おばあちゃん似すぎだろう。スゲェ。
で、「竹田の子守唄」
この感想の文脈的に捉えるならば、この曲が使われていることにある種のカウンタを見ることは可能かなぁと思う。
全体として目上の人に従いつつ、しかし、決定的なところで隷属はしない。
個として尊重するからこそ、否定はしないけど、絶対的に肯定もしないっていう。
その上で、見てる間、アメリカ資本でも中国資本でも、使うなら日系人かなぁ?思ったら、ホントに日本人の役者さんでビックリ。
水原碧衣は三重の人で、京大卒だっていうから、「竹田の子守唄」は彼女のチョイスかもしれない。「竹田の子守唄」の歴史を押さえてそうな気がする。何故「竹田の子守唄」をセレクトしたのか知りたいところ。
もちろんパンフではそんなこと言及してないんだよなぁ。
だいたい、付き合って3ヶ月の彼氏の実家に1週間滞在して、茶番に付き合うって相当な精神力だろ。
愛子の心理が全然見えない所ではあるんだけど、「竹田の子守唄」を茶番の結婚式で唄う神経というか、意図が俄然気になる。
あと、母親役のダイアナ・リンが、何気に素晴らしかった。