ちうことで、立て続けに劇場版『Gのレコンギスタ Ⅴ』「死線を越えて」見ました。
良かった!最後にノレドの
過剰な生命力が発揮されて、幸せを自ら掴みに行くエンディングは、思わず拍手です。
天の川があんな高速で動くはずも、そもそも砂漠の真ん中であんなに見えるハズもないのだけども。
つか、もちろん、エンドロール前は「
変わってねぇじゃねぇか! 」ツッコんだわけだが。
物語自体は、冒頭の新作パートが良かったなぁと。
もちろん、無駄よりな演出ではあるのだけど、全体的に息つく間もない戦闘シーンが続くので、むしろ、あの日常パートが無いとツラミが過剰だったかもしれない。
IVでほとんど出番が無かったドレット軍を思い出すのに時間がかかったわけだが、こうやって振り返ると、あの人たちの因縁が薄いのだなぁ。
そのせいもあって、最後全滅させられても文句を言えないっていう。
ただ、マッシュナー&ロックパイの件は、
いかにも富野由悠季で最高なんだけども。
何回も見てるのに、マッシュナー周りの芝居は笑ってしまうのだよなぁ。
あの辺の肉体感とか精神性みたいなモノって、それこそ「
だから私はメイクする」みたいなのとだって通底していると考えるわけだが、「ザンボット3」の頃から変態だけど、ちゃんとフェミニンな御大の凄みですよ。ホント。
男性作家のフェミニズムで、表現できるギリのところを常に描いてらっしゃる。
それは、クリム・ニックとミック・ジャックの関係や、マニィ・アンバサダとバララ・ベオールの関係にも似たような感触を感じる。
結局のところ、名作劇場ではある。
Vガンのリベンジがここで果たされたのではなかろうか。ヒゲは完全に神話なので、名作劇場では無い。
俺の中での富野ガンダム序列は、ヒゲ→猫→νになろうかと(でもヴィジュアルはV2アサルトバスターが一番好きな男の子)
そゆ意味では、御大が「
Gレコはガンダムではない 」言っているのはよくわかる。
富野由悠季ですら「ガンダム」と名を付けないとアニメを作らせてもらえないという問題ではあるのだけど、ガンダムのテイを装えばなにやってもいいというGガン以降の伝統を、御大自ら
これぐらいやってみせろよ!と範を見せたという評価なのであります。
ガンダムでガンダムをやらないにあたって、ビジネス上の要請からガンダムを大量投入せざるを得ないのだけど、すべてはガンダム擬きであり、主人公機は多少のパワーアップとカラバリで済ませる。
なにより猫目が入ることで、擬人化というか「キャラクタ」として成立させてみせるわけで、ああ。ガンダムは偶像やアイコンではなく、ガンダムこそが主人公たり得るのだなぁと。
あわせて
撮影監督のスタッフトークレポを読むと、なおのこと、金田エフェクトも含めて、古き良きキャラクタロボットの復権なのだ。
もちろん、ベルリ・ゼナムというキャラクタがマスクに散々言われようと、マニィが言うように「
そんな子じゃない 」と何故だか無条件に観客が納得・信頼してしまえる無邪気な頭の良さというか、素性の良さがあるからこそ、なにも言わないGセルフの無口さが成立しているわけだけども。
その意味において、富野由悠季の作劇は見事ではあるし、御大が脚本も絵コンテも全部やったのは最後の仕事と邪推すれば、「残されましたな」とも。
通しで5本見ると450分ぐらいになるわけで、ちょいと長いけど、傑作ですよね。
なお、今回のフィルムはグシオン長官とエルガイムでした。親娘コンプリート。
なおなお、お約束ですが、隣かその隣のキモヲタさんがグッドスメルでした。ギャフン。
両サイド埋まらなかったので助かったのだけども。