作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
∀ガンダム II月光蝶 | 唸るバクテリア | 2002/03/06 | 無 |
戦争物。ロボット物。普通の人がそんな単語を訊いて思い浮かべるイメージはなんなんだろう?
100人に訊けば10人ぐらいは「死」なんてフレーズを吐いてくれると期待する。
ところが、ここに出てくる人々は、みんな必死で生きていた。
たとえ、どんな死に方をしようとも、必死で生きていた。
存在証明なんて、そんな物は不要で、ただひたすらに、自分の信じる道(それは主に主従関係―それも尊敬と敬愛の―や血の誇り、そして、時代を進めたいという意志)を歩み続けた。
それは新作カットとしてわざわざ敵前での会食シーンを入れたことに明らかだ。
ターンエーの前作、ブレンパワードのキャッチコピーが「頼まれなくたって、生きてやる!」だったが、今回、改めて見たターンエーは「だって、生きてんだもん!」ぐらいに、とても自然だった。
この物語が世界中の童話的・伝説的物語を集めたものだということを考えれば、人間は昔から、生きることを必死に肯定し続けた来ただけなのかもしれない。
彼らほどに「生」を謳歌しているかと問われれば、おいらは「ハイ」と言えない気がする。悔しいことに。
それを望んだか否かに関わらず、物語を彩るすべての人々は生き生きと「生」を謳歌していた。
最後にディアナ様はロランを選ぶ。
この映画の最後の最後はロランがディアナにこう言うのだ。
「お休みなさい。また、明日」
光の繭は、生まれ変わりの象徴でもある。
当たり前を、当たり前に過ごす。できれば、好いてくれる人と共に生き、そして死ぬ。
数多の罪と死を背負ったディアナは、それでも、きっと笑顔で死ねるのだろう―
ただ悔いが残った。
だからこそ、人は生きていけるのだろう。明日を切望し、明日に希望を託し・・・