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作品名記述者記述日
硫黄島からの手紙唸るバクテリア2007/1/14★★★★

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ちょうど前の日に「サヨナラCOLOR」を見たものだから、頭の中でいろんなことが交錯する。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」って、なに?

日本人が桜が好きなのは、散り際が綺麗だからだという。
「名付けられた葉」という歌を、中学校時代合唱で唄った。
その歌で「名付けられた葉」は、精一杯緑を輝かせてから散る方を考えて考えて考えて散っていく。
「終わりよければすべてよし」なんて諺もある。
咲いてるウチが綺麗だから散り際も綺麗なのか?それとも、散り際さえ綺麗であれば良くて、考えてた「名付けられた葉」は愚かなのかい?

日本の文化を「菊と刀」だったかでは「恥の文化」と呼んでいるらしい。読んだこと無いからよく知らないんだけど。
おめおめと醜態をさらして生き延びるぐらいなら、パッと咲いて散りましょう。
うん。たしかに戦場で死ねればいいよね。
でも、できることなら勝って生き延びたいじゃん。
今を生きる僕は思う。

元来、武士は天皇を守るものであり、天皇のコマでしかなかった。
しかし、鎌倉幕府以降約700年ちょっと天皇を虐げてきたのも、やはり武士である。
天皇陛下万歳を口にして、同時に武士として万歳特攻をさせてくれという矛盾を、彼らはどのように包含していたのだろう?

僕たちは今を生きている。
だから、僕にとっての生きることは、「硫黄島からの手紙」で描かれた誰かを殺してでも生き延びるという切迫さより、「サヨナラCOLOR」の誰かを生き延びさせるために自分の命を削る方が近しい。リアルだ。
けれど、2つの映画を見終わったとき思ったのは、どちらも同じことなんじゃないかなぁってこと。
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
栗林中将の辞世の句も、正平の死に様も、等しく格好良かった。
だからそう、必死で生きて、やるだけやって、そして死にたいと思う。

死ぬために生きるんじゃなくて、生きるために常に死のう。

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