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音楽

ミュージシャン記述者記述日
氣志團良田2002/03/09

まず単刀直入に言おう。
氣志團は鳥肌実である
つまり鳥肌は右翼を、氣志團はヤンキーを、いわば時代の遺物と化したものを良質な「ネタ」として昇華する。
そういった意味で、氣志團はミュージシャンというよりもパフォーマーという見方の方が正しいといえる。
…と言いたい所だが、そうとも言いきれない。
こいつら、歌詞は80年代歌謡曲のような「ネタ」としてしか評価しえない代物であるのに対し、バックがわりとしっかりしている。
ロカビリー、ディスコ、歌謡などの要素を盛り込み、純粋な「音楽的リバイバル」として評価できうるものになっている。

最近では、日本ではトミーフェブラリー、海外ではダフト・パンクなどのいわゆる「80年代リバイバル」が現象化している。
アメリカではMTVが隆盛を誇り、日本ではアイドル歌謡がはびこっていたこの時期、のちに「80年代はクソだった」と蔑まれる事になる。
もちろんアングラでは面白い存在もあった。
しかし「勝者の足跡をただ追うだけの音楽」
「ビジネスのためだけの音楽」の前に、彼らが表に出ることは少なかった。
そんな80年代を彷彿させるトミーやダフト、そして氣志團のスタイル。
しかし、両者の間には決定的な違いがある。
前者は純粋にその年代の音楽を愛し、そして真面目くさってやっているのに対し氣志團のそれはあくまで自分達のネタのための「素材」にすぎないということ。
もし奴らが大真面目にあんなことをやってるとしたらただの馬鹿である。
そういった意味で、80年代のものをそのままコピーするだけなら、元ネタがしょぼい以上そのコピーもそれと同質の物となるだけ。
いいとこ取りしてうまく現代のエッセンスとこね合わせて成功した例がダフト・パンクといえる(かも?個人的にはトミーもダフトも余り興味がないので)

だが、氣志團の人気はもって年内いっぱいだろう。
その理由。
1.色モノ扱いで終わってしまう。
2.この手のネタは、ネタ切れしたら終わり。
3.痛いファンの存在。
4.日本人は飽きっぽい。
最も問題なのが3。
噂によると、あれを本気でやってると勘違いしはまってるオバハン連中が結構いるとのこと。
こうした痛いやつの存在は、今後の活動方針に影響を与えかねない。
その世代は本当なら「はは、懐かしいなあ」などと苦笑い、あるいは「俺らの世代を馬鹿にすんな!」などと怒る(これもかなり痛いんだけどね)のが普通では?
とにかく、皆さんはもっと広い目で物事を見ようね。
洒落ですませる寛大さ、および客観的な視点を無くすと駄目になるよ。
と、経験者は語る(汗)

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