雑感・レヴュ集
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作品名記述者記述日
キング・コング唸るバクテリア2005/12/25★★★★★

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ジェンダー論でいうところの「男らしさ」
強さを誇示し、涙を見せず、女をかしずかせる。
とても古典的な概念なのだけれど、それのなにが悪い?
だって今は1933年だぜ!

つまり、ツンデレ概念は古典的な「男らしさ」だという話をしようかと思ったんだけど、それほど面白くないので止める(笑)
じゃあ、他の切り口ということで・・・

妄想を具現化するためには、最先端の技術を用いなければならない。
従って、特撮は最先端技術である。
さて、世の常で「男の子」は最先端技術が大好きだったりする。
なわけで、「男の子」は特撮が大好きなわけだ(笑)
で、そんな「男の子」は「男らしさ」を体得することで「男」になるのが近・現代なわけで、そのために元服したりなんなりをするわけだ。
バイバイ男の子!君たちはもう電気羊の夢も見ないのだね。

しかしまぁ、世の中には「男」になろうとしない、ならない「男の子」がいたりするわけだ。
一般的に「オタク」と呼ばれる、まぁその、今読んでるテキストを書いてるようなヤツだ。
んでまぁ、この映画を撮った監督のピーター・ジャクソンも「オタク」なわけだ。

て、この手のテキストもそこら辺に溢れてるんで、改めて俺が書く必要もないかなぁと。
じゃあ、どうしよう?

オタクであることに価値があるのではない。
もしも、ただ所属しているだけで価値があるのなら、誰だってオタクになろうとするわな。
実際、世の中がオタク化しているのはだからなのだ。所属すれば良いと思っている
しかし、それは間違っている。
電車男はドラマ化されても、ピーター・ジャクソンにはなれないのだ。
消費するだけのオタクと生産するオタクには越えられない壁がある。
それはコングとアン・ダロウの関係みたいなものだし、髑髏島とNYとの関係みたいなものだ。

別に壁を越える必要はない。
壁の中にいても綺麗な夕焼けを見ることはできるだろう。
生死をかけた戦いができるだろう。
でも、壁を越えることができたなら、綺麗な朝焼けを見られるのだ。
摩天楼に上る朝焼けを見ることできるのだ。
見れるのなら、俺は夕焼けも朝焼けも見たい。

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