作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
キング・コング | 唸るバクテリア | 2005/12/25 | ★★★★★ |
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つまり、ツンデレ概念は古典的な「男らしさ」だという話をしようかと思ったんだけど、それほど面白くないので止める(笑)
じゃあ、他の切り口ということで・・・
しかしまぁ、世の中には「男」になろうとしない、ならない「男の子」がいたりするわけだ。
一般的に「オタク」と呼ばれる、まぁその、今読んでるテキストを書いてるようなヤツだ。
んでまぁ、この映画を撮った監督のピーター・ジャクソンも「オタク」なわけだ。
オタクであることに価値があるのではない。
もしも、ただ所属しているだけで価値があるのなら、誰だってオタクになろうとするわな。
実際、世の中がオタク化しているのはだからなのだ。所属すれば良いと思っている。
しかし、それは間違っている。
電車男はドラマ化されても、ピーター・ジャクソンにはなれないのだ。
消費するだけのオタクと生産するオタクには越えられない壁がある。
それはコングとアン・ダロウの関係みたいなものだし、髑髏島とNYとの関係みたいなものだ。
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