泣ける映画見るぐらいだったら、どんよりすること受けあいな「
あのこと」見ましょうと。
アホか!こんな映画のエンドロール後に「
ひつじのショーンのポップコーン」広告とか、
新宿ピカデリー阿呆か!!!
松竹がどれだけパンフに力入れてくれても、
これは映画の冒涜だろうが。
閑話休題。
予告編見てる限り、
一番中出ししたヤツが悪い!と思ってたけど、全然違くて、そもそもそういう知識も法律も無い世界なんですよ。
ある意味、21世紀から見たらファンタジー。中絶が罪になる時代で、避妊の情報が流布されず、粗悪なコンドームか外出しでしか避妊できず、妊娠が「女性だけが患う主婦になる病」でしかない世界。
2000年代でも通じそうなファッションコードだけれども、
舞台は1960年代。ホント、バリバリ現代の話。
でも、
日本では昭和だ。厭だ。
気持ち悪い。
久々に
男であることに嫌気が差しますよ。まったく。
全員死ねばいい。男なんぞ糞役に立たねぇ。
実際、劇中の男どもはすべて役に立たない。自分が孕ませた女にやらせろと迫る糞しかいない。勃つのはチンコだけ(台無し)
強いて言えば、気休めでセックスする消防士程度。
いや、一人、中絶を請け負う街中のオバサンにつないだ男友達、ジャン as ケイシー・モッテ・クラインはいる。
しかし、本当に紹介したのは、あくまで紹介したのは女性だ。
おそらく、彼女も中絶を経験している。
極めて暴力的な中絶。
もう一人、大学の先生がいる。彼だけが希望だ。彼だけが才能を評価している。
しかし、それがなんの役に立とうか?
目の前のこの障害を越える動機付けになろうとも、障害を越える役には立たない。
主人公アンヌ as アナマリア・バルトロメイは、自分のやりたいことを明確に意識して進学したのだから、妊娠なんぞで目的を邪魔されるわけにはいかないのだ。
それは柚木麻子がパンフで書いているような人権意識では無く、もっと直截に言うところの
欲の強さなのだ。知識欲や才覚があっても、尻軽と呼ばれても構わないけど、子どもは欲しくない。避妊についての知識も無い。そういう歪な時代をサバイヴする我欲の話なのだ。
辛い。超辛い。
しかしなのだ。困ったことに、
映画としては抜群に面白いのだ。悔しくて辛い。
だって、アンヌのあの
目力ですよ!
眉毛から目から伝わる意志の強さですよ。
あんなの顔さえ撮しとけば、いくらでも間が持つじゃん!思ったら、まさかのワンカット長回しで、あの顔見せ付けるんですよ。決定的な場面で。
長回しに気付いたのは3回。
どれも同じことをした場面。
全部痛そうな場面。
俺は永遠に味わえない痛みの場面。
本当に辛い。しかもあの顔で伝えられる痛さ。
辛い。スゲェ辛い。
しかし、そうしてでも伝える必要があるのだ。その痛みは。
映画で伝える一番効率的な方法は役者に演じさせることで、演出上、そりゃ顔で伝えるしかないのだ。
名優。ここに極まれり。
と思ったらさ、パンフに書いてたスタッフのキーワードは
「
アンヌは兵士だ 」
つまり、
あの目は敵を見据える、撃ち抜く目なのだ。
勝てない。こんなの視界を邪魔することさえ出来ない。俺ごときじゃ。
もちろん、あの目力は大変好みな顔であるとか、あの体つきはエロっちくてたまらんなぁとかはある。
でもさ、そのエロっちいと感じることの無責任さは否定できない。本能的に感じることと、理性が理解して否定するのが同時に発生する。
背反。言葉の意味を体感する。脳味噌が理解する。
辛い。
とはいえ、男の子に生まれてしまったのですから。仕方がない。止められない。
せめてなんとか、もう女の子を傷つけない人間であれますように。
ちなみに、監督オドレイ・ディワンもイケメン美人で、次作はあの「Emmanuelle」
まぢか・・・なんつー監督だ。
今の時代にエマニエル夫人の映画化とか!と鼻で笑ってたけど、この人が監督するなら見ないわけにはいかない。