当初、あまり見る気が無かったのだけど、評判の良さにやられて見ました。「
ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」
あっ、オフィシャルサイトはオリジナルドメインか。その内乗っ取られそうだな・・・
そうじゃなく、この映画見るタイプじゃない感じな男の子三人組が終わったらキャッキャしてて「生涯ベスト級」とか言ってたよ!日々ちゃん!!
それはともかく「若草物語」素人的に、1カ所だけ、どうも納得いかんのですよ。
どうして、ジョーはローリーとより戻したいなんて言い出したのか?
「
たまらなく寂しい 」なんて言ったのか?
もちろん、ベスの死後だからというエクスキューズはあるけど、その感情に流されない娘なんじゃないか?うーん。
パンフにあった「ジョーとローリーの名前と性別の対称形」ってのは、「体の一部としてのベスを失ったことに対して、自分の他の部分が残っていることの確認」って解釈の補助線にはなるのだが・・・
とはいえ、悩んだんだけど、まぁ、売れるためにヒロインを結婚させたわけだから、
売れるためにはロマンスを盛ったりしますわな。ってのが、今のところの解釈。
つか、あの最後の展開を踏まえると、解釈が自由になりまくるんで、男に媚びた向こうに中指が透けて見える。
久々に劇映画を見たせいか、物語についてけなかったらどうしよう思いましたが、大丈夫だった。最後にはちゃんと顔と名前が一致した!時間軸には遭難しそうだったけど。
しかしてしかして、エイミーが三女で、ベスが四女だと思ってたけどな!
実年齢としてはベスが一番歳下だったんので、あながち間違ってないけど。
って、アレですよ。ウチの母親が三人姉妹なんですけど、んで、俺も妹二人いるじゃないですか。全員にBlu-ray買い与えようかと思った。
姉妹の間の感情について、オイラの知ってるところでどうしても解釈せざるを得ないのだが、「ああ。わかるわかる」ってところが随所にあった。
ベスのように、ウチの母親三姉妹の誰かが亡くなった時、オイラがやあの人達がどうなるか想像もつかん。そろそろ考えなきゃいけない歳頃なのだけれど・・・母方の祖母が亡くなった時でアレだったしなぁ・・・
そして、どうしたって、自分は一人で生き抜こうと考えてる大好きな次女の子のことを考えてしまう。
待ってても、ちゃんと告げても、
愛してはくれんのだよ!
わかってるさね。
愛されたいのが間違ってるなら、僕はどうやって君を愛せばいいのか?
なーんてね。
ジョー役のシアーシャ・ローナンの説得力はもちろんだけど、エイミー as フローレンス・ピューは良い役者ですね。
「
ミッドサマー」あとにこの役って、ギャップが凄い。「ミッドサマー」見てないけど。
大人になってからのサバサバ感と情熱の狭間演技が最高。
あとはもうもちろん、エマ・ワトソンが相変わらず美人!
もう30なわけで、隔世の感といい女になったなぁという実感。
ともかく、ガールズエンパワーメントとでもあるんだけど、同時にひたすら家族の映画。
今のご時世に実は相応しい差別と病と貧富の映画。
ちょうどBlack Lives Matterなご時世に、南北戦争当時のアメリカ。
貧しい人や黒人に対して手を伸ばす白人な牧師と妻に、その手助けをする金持ちの白人。
つまり、19世紀とか20世紀初頭から僕たちはなにも変わっていない。進化なんか遂げられやしない。アメリカは同じことを150年ウダウダ続けている。
だいぶ話が飛び回ったけど、周りの女性客がベスの死で涙を啜っている中、俺は「学校を作りたい」と言ったジョーに泣きました。
なにげにアメリカンドリームな映画。
今はもうない、希望の映画。
でも、好きなシーンはベスに物語を読むジョーの砂浜シーンだけどな。
ちなみにちなみに、思い出の中の砂浜シーンはピーザ・スィヴェリーン・クロイア「スケーイン南海岸の夏の夕べ、アナ・アンガとマリーイ・クロイア」ぽかった。
しっかし、原題が「LITTLE WOMAN」
これを「若草物語」と訳した(たぶん)吉田勝江のセンスがずば抜けてるんだけど「ストーリー・オブ・マイライフ」と付け直すのは・・・
エンディングの時には「もう小さくはない」って解釈だろうけど、この社会において、まだまだ女性は小さいって風刺でもあるよな。
ってところまで書き上げて寝かせてたんだけど、北村紗衣が
それで、この強い意志でとんでもなく魅力的な男を断るというのは何なのだろうか…
と考えたのだが、これ、古典的なハードボイルド映画の裏返しだと思う。
という評に膝を打つ!
なるほど。たしかに。
ティモシー・シャラメに告られたら、俺だって断れる気がしない(えっ?)
それも含めて「映画の構造」という解釈は、俄然納得がいくなぁ。