なんか立て続けにFilmarksに引っかかってる気がするんだけど、1週間限定リバイバル上映に行けちゃうの?ってことで「
マルホランド・ドライブ 4Kレストア版」を新宿ピカデリーで見ました。
リアタイで見れたはずの映画なのに、存在自体をあまり認識しておらず、バンハズの「
マルホランド・ドライブマーケット」で存在を知った!みたいな残念な人ですみません。
いや、その頃からここのサイトやってるんで、掘り返して見てもらえば答え合わせできるよ。まぢで。
それはともかく、速攻でいい席無くなってたので微妙な席でしたが、ラストシーンで隣のおにーさんが咳き込んでたんで、
空気読めない男と付き合うのは止めた方がいいんじゃないの?と、一緒にいたお嬢さんに向けて、余計なことを考えました。
閑話休題。
いいおっぱいですよね!ぐらいしか理解できてはいないのだけど、まぁ、リタ as ローラ・ハリングの
おっぱいは素晴らしいですね!
んでもって、ベティ as ナオミ・ワッツの
おっぱいは綺麗でした。
いや、それはまぁ、それで正しいんだが、わかったテイを装いたくなる映画な気はするのだけど、
なにをわかれと?もしくは、
どんな気持ちになれと?
なんとなく時系列の想像はつくのだが、あえてその理解を壊しに来るシーンとかもあったりで、ちょっと俺の中でデビット・リンチに
やーいやーい。言われてた感慨はある。
となると、取るべき姿勢は「
わかってたまるか!」(臍曲がり)
むしろ、見ている内に2000年代初頭って、そんな時代だったっけ?って気がしてくる。
たとえばそれは電話であって、もちろん当然のように登場するのは固定電話ばかりだ。
けれど、2000年代初頭に大学生をやっていた人間としては、Win98からWinMeをスルーしてWinXPでWinnyを扱い、周りがケータイを持ち出す中、ほぼ持たないことを選択していた頃合いである。2G回線でなにするモノかと。
そうじゃなく、あんなに固定電話だけだったかな?とは思うのです。
あの感じは90年代というか、タバコの描写が多くないのでそこまでの感じはしないけど、
70年代オマージュ的に見える。
服は、そこまで大きな時代格差みたいなモノを感じないのだけど、しかし、ホンノリ肩パットが入っていたりするのだが、むしろメイクに時代を感じる。
ナオミ・ワッツはナチュラルよりで、ローラ・ハリングは巨乳で目元が強いのに、メイクでそこまでするか?っていう。
ビッチ感があるメイクではあるのだが、パーティへ向かう途中だったとて、ちょっとキツい感じはあり、キャラ立てにメイクを使っているようにも見えるのだけど、
トゥーマッチは否めない。
そのトゥーマッチさが、
なんだか2000年代初頭っぽい。
おそらく、劇中劇的に挿入されるベティとリタが台本読みあわせてる時と、オーディションでの芝居の違いは、この映画の構造なり表現したいことの重ね合わせなのかな。とは思っている。
つまり、同じ台詞であってもシチュエーションや言い方によって感じ方は異なる。
テキストは本質的に多様性を含んでいて、どの意味にするかは個々人に寄るのだ。
この映画も、多様性に富んでいていかようにも読み解けるのだけど、如何せん、ただのオタク趣味というかドヤさにしか見えないので、めんどくせ。っていう。