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洋画

作品名記述者記述日
ナイトメア・アリー唸るバクテリア2022/05/26★★★★

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アカデミーとかサーチライト・ピクチャーズとか、ネズミーFXXKとかどうでもええねん。
監督が永遠の心の友ギレルモ・デル・トロならば、見ないわけには行かない「ナイトメア・アリー」見ました。
ホントは、ドルビーシネマで見たかったのだけど埼玉だったでござる。残念。
あと、またパンフで指切ったよ!
隣のカップルが馬鹿だったのが悔やまれますが、それはそれとして、これは良い耽美というか、怪獣大好きな僕らのデルトロが、これをやりたかったのはなんでだベ?と考えていたのですよ。中盤からこっち。
したっけさ、たしかにこっち系のヲタは乱歩的というか、見世物小屋の耽美感好きだよね!耽美ガチ勢に、これを耽美と言ったら怒られるやもしれぬが。
パンフに「耽美」って書いてたから、そこまで間違ってないハズだが。
で、予告編でもクレジットでも、ケイト・ブランシェット as リリスがメインのファム・ファタルなのは把握してたのだけど、いやいやこれはモリーみたいないい女を惚れさせといて裏切ったんだから破綻してしまえ!という因果応報物なわけじゃないですか。
モリーいい女だよ。モリー。ルーニー・マーラ大好き。ホアキン・フェニックスと結婚したんだから、末恐ろしい人ですよ。まったく。
芸と聡明さは、必ずしも矛盾しない。でなければ、作家はただのペテン師だし、役者ははったり野郎で、映画に夢は無い。映画に夢は無いのだ
そこに映った映像はCGまみれであっても、誰かが演じたモノである。
それは事実だ。現実だ。
重なる虚構は真実を背景にしている。
遠くに近くに、映し出されるのは事実だ。
なんつー話は、頭通い人にお任せして、いやさ、アレって、読心術なのか?どちらかというとクレヤボヤンスかサイコメトリーじゃなかろうか。
とくに、リリスの手提げの件は透視に見えたが。
「幽霊ショー」という訳は、一方、ちょっと面白いなぁと。
たしかに第二次大戦直前の胡散臭さは、その語に満ちているので、是非とも、これを大川隆法大先生にお送りしたいところ
生きてる人間の霊を降ろせるんだからな。あの人。その意味では霊言の方が正しい気もする。大丈夫。幸福の科学に人を殺す気合いはないよ。幸福じゃなくなるから。
閑話休題。
カーニバルの観覧車が、六芒星なのも胡散臭いので良いです。
アレな人はみんな大好き六芒星
にしたって、ブラッドリー・クーパー as スタンなのである。
ラストシーンの筆舌に尽くしがたい演技は絶品だし、なんでアレでアカデミー賞にノミネートされんのか!?と思わざるを得ない。ちょっと、どうかしている。
なにせ、流石「ハングオーバー!」の人なのだ。
アルコールへの嫌悪感と、しかしアルコールに溺れていく様が絶品である。あれ?アル中って、今は禁止用語だっけ?
ともかく、全体としては破綻を楽しむ映画なので、破綻っぷりが素晴らしくて仕方がない。
やはり、詐欺師たる者、あのように滅ばなくちゃならんよね!
でもって、さえぼう先生がズバリ見抜いてるとおり、
オカルト的なスピリチュアリティなどはしばしば女性らしさと結びつけられるのだが、
この作品ではオカルトというのは他人を騙して支配するための方法であり、
男性が権力を求めたがる気持ちと結びつけられている。

ってのは、正しくその通りで(まぁ、判事の奥さんはオカルトに呑み込まれたが)、オカルトなんぞは心の弱さに付け込むのだから、男女差は関係なく、弱っているか否かだけなのである。
シンプルな構造を丹念に積み上げてはいるので、長さをそこまで感じないのだけど、とはいえ、もうちょっと速めに進めて欲しいかなぁという気も。
とくに、エンドロールのCGはグロ可愛い好きにはたまらんのだけども、ああやって、主要キャストをロールした後、もう一回改めてエンドロール流れるのなんなの?
一回でまとめて!と、このところ見るアメリカ映画って、だいたいそんな感じなので、強く思うところ。
なに?協会の取り決めで、エンドロールで遊べなくなったとか?

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