作品名 | 劇団 | 記述者 | 記述日 |
虹に向かって | 赤平創作市民ミュージカル | 空虹桜 | 2002/09/01 |
本文中のリンク先には、アフィリエイトを含むことがあります。ほぼお金になってないですけど。
たぶん、やってた連中は「いい芝居ができた」とか思ってるんでしょうねぇ。ええ。わかりますよ。その高揚感って言うかなんって言うか、「あばたもえくぼ」的な感覚。
でもさ、こっちは1000円も出してたりするのですよ。詐欺ですか?2時間無い芝居を、なにが悲しくて2部に分けちゃうのですか?
もうね、そもそも一本も伏線の貼ってない脚本、意図が不明の演出、二言目にでてくるのは「素人」「みんな」・・・
70年代でもそんな木っ端ずかしいフレーズ選ばんぞ。マジで。
ほぼ全編嗤うか腹立てるかのどちらかって、よくやるよアンタら。
なにが悪いのか幾つか例を出してみましょう。
たとえば脚本。
普通、専門用語は雰囲気を出すための枕詞的に用います。従って、それがタームになるような脚本はクソだと思ってくれてかまいませんし、説明台詞を説明台詞として入れる(ネットで公開されてる小説に多いよね。こういうの)のは素人以下です。
で、ここにでてくる幾つかの専門用語。
「ラビカ」(ヲイ)
「ノーマライゼーション」etc...
おいおい木村快さんよ・・・いくらなんでも、この脚本手伝ったことにされていいの?っていうか、もしかしてこれに加筆してたりするの?どうなのよ。アタシだったら、こんな脚本見せられたら関わりなくすよ。マジで。
もちろん、台詞と芝居が合ってないとか、場所設定の矛盾(ズリ山の上に虹が出るわけないじゃん!)とか、もう、腐るほどあったけど、情けなくなるんで忘れた(苦笑)
で、もうひとつ、意図不明な演出。
火祭りになぜ住吉獅子舞が出てくるのか?とか、お前らさっきから指さしてる方向がバラバラだぞ!(そもそも、役者も脚本家も演出家も誰一人として、リアルな映像を持っていないと思われる。それぞれのイメージを統一しないで素人が芝居すんなよ)とか、777段にお前らそんな大集合できるスペース無いぞ!とかいろいろありますが、芝居を自分たちで破壊してる2つの事実に関してここでは。
まず、1つは相手の動きを無視した芝居。
たとえば子どもの芝居だったけれど、引っ越しする子どもに対して「さようなら」と言ったらそのまますぐ回れ右しちゃう?いや、照れ隠しとかならまだわかるけど、とりあえず自分の台詞言ったら去るってのは注意すべきでしょ。子どもだからって。でさ、それが子どもたちだけならまだいいんだけど、大人たちも大人たちで、自分の役だけでいっぱいになっちゃって、千秋楽だってのに、相手のこと気遣う余裕がないのね。だから、それぞれがつっぱしちゃってる。
その上、もう1つの問題点が、だらだらした芝居。
突っ走ってるからか、動きのある場面でも台詞でもないのに、台詞を言い終わるかどうかで動いちゃってるのね。間合いが詰まってるわけでもないのに、それはどうさ。って話。下手くそなら下手くそなりにキリキリ動けよ。緩急つけろよ。ただでさえ冗長な台詞なんだから芝居で絞めなきゃ見てられんって。次の動きを意識しすぎ。ダンスやお遊戯じゃないってぇーの。