雑感・レヴュ集 メタセコイア
洋画

作品名記述者記述日
熊は、いない唸るバクテリア2023/11/10★★★★

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みんな大好きジャファル・パナヒをようやく見ました。
そうです。
公開後に収監されたことで有名な「熊は、いない」見ました。
なお、パンフによるとジャファル・パナヒは保釈済。

スゲェ終わり方したので、エンドロールでしばし呆然。
エンディングテーマも無かったので、無音の中、2カ国語でスクリーンをエンドロールが流れゆくのを眺めてて、慌てて意識を取り戻す的な。
映画自体もちょっと凄い。自分はなにを見ているのか?という混乱が常につきまとう。
これはノンフィクションではない。カメラの位置から明確だ。
しかし、恐ろしいまでのノンフィクション感。
観客は監督のジャファル・パナヒが、国から睨まれていることを知っている。
メタフィクション的な構造の映画を撮る監督だと知っている。
その中で、劇中劇であるトルコ側では、ノンフィクションだけど演出が施されている。
トルコにいるイラン人がわざわざ仲介者を介し、ヨーロッパへ逃亡しようとする。誰かのパスポートを盗んで。
一方、監督の目の前では、まるで松本清張か横溝正史みたいな古臭い国境沿いの田舎で、本当に松本清張か横溝正史みたいな田舎の慣習に振り回される。
そして、重なる男と女の逃避行と死。
カメラは死後しか写さない。写せない。写させてもらえない。
ちょうど、予告編を見たから余計にだけれど、まるでゴダールのような死。しかし、監督とは無関係。彼らとは距離がある。
物理的にも。心理的にも。
改めて、自分はなにを見ているのか?という混乱がつきまとう。
すべては作劇であり演出である。
しかし、途方もないリアリティと何気に感情を表に出さないジャファル・パナヒ。
ジャファル・パナヒだけが自分自身を演じているのだから仕方が無い。

翻って、タイトルに戻る。
「熊は、いない」の原題は「NO BEARS」
熊はたしかにいない。ただのブラフでしかない。
じゃあ、ここでの熊はなんなのか?
ジャファル・パナヒにとっての熊はなんなのか?
見えない敵はそこにいる。
パンフでは「恐怖」の比喩と書いてあるけど、砂漠で熊の時点で、リアリティが無いのでは?とも思う。
ならば、熊は国境警備隊なのか国家なのか観客なのか・・・
パンフにはトルコとの虚構性や暴力性の言及が記載されている。
エンディングに戻る。
サイドブレーキを引いてエンジンを切る。
死はジャファル・パナヒをイランに留める。
何度となくあるチャンスをジャファル・パナヒは拒絶する。
しかし、そこに「熊は、いない」
そこはかとない絶望が滲む。
イランにいる不自由さが作家性の一部になってしまっている映画監督だから、イランから出ることはできないのも事実だ。
「熊は、いない」
だから収監はされても殺されはしない。
にもかかわらず、死はそこにある。
なんて映画を見せられたのか。

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