公開35周年記念ってことで、「
機動警察パトレイバー 劇場版」のリバイバル上映を池袋シネマサンシャインで見ました(本文中のタイトル表記はFilmarksにあわせています)
パンフは当然のように売り切れで、劇場へのエスカレータで前にいたオッサンとオバサンが歳下でゴンス。んがぐぐ。
それはともかく、面白かった面白かった。
無論、現職のSEなのだから思うところがないわけではないのだけど、それよりも要点は言われているとおり、犯罪の動機が不明なことかと。
「パトレイバー」というシリーズが内包してるのひとつは、藤子・F・不二雄的な「すこし不思議」なので、理由があってしまうことよりも無いことの方がパトレイバーっぽい印象はある。
にしても、エホバは非歴史的な読みで誤りなの?
未だに「エホバの証人」名乗ってるってなんなの?
閑話休題。
とりあえずなにかにつけて「バベル」とか名付けるヤツは、
ちょっと頭おかしすぎるので、なんとかした方がいい。
組織としてまともなのって、内務省特務機関超能力支援研究局だけじゃないか!(アレはアレで局長がおかしい)(なんの話だ)
それはともかく、久々に90年代初頭のアニメをマジマジと見てると、スクリーンサイズで見るのはすこし厳しいなと思いつつ、要所要所で
驚くほど迫力ある画を提示してくるので、
これがアニメータの違いか!と。
特にポイントとなるのは、
トマトとピザのディテール。
どちらもこれ見よがしなアップもインサートされる。
誰が見ても明確なフード描写であり、生命描写である。
そもそも、特車二課は釣りをし、野菜を育て、ご飯を作る集団だ。
あと、止め画の使い方がお見事ですよね。
その尺を一枚画を舐めるだけとか、今なら動かせるから動かしたがる気がする。
実際、
Wikipediaを見てみたら
> 1コマや2コマから3コマにすべて打ち直した
とか
> 本作品で使われた手法の1つに“カメラを遅く動かす”ことがあり、これは背景の重さを見せ印象を強めるためのもの
みたいなのは我が意を得たりというか、
まだアニメを見る目は衰えてないなと。
「攻殻機動隊」っぽい松井の東京流浪旅展開と川井憲次の楽曲は当時の押井守の趣味なのだけれど、むしろ、
香港ノアール憧れというか、
あの頃の香港も東京も同じぐらいカオスで面白かったってことかと。
であるならば、なんでこのタイミングでこんな懐古主義をぶち込めるのか?ってのは、ある意味で先を見据えていたとも取れる。
せっちゃんが唄うところの
今歩いているこの道が いつか懐かしくなればいい
今歩いているこの道は いつか懐かしくなるだろう
(from「幸福な朝食 退屈な夕食」斉藤和義)
なのだ。
そう考えると、パトレイバーってアニメは、一方では明確にゆうきまさみの特撮趣味が出ているわけで、ゴジラを倒すのはオキシジェンデストロイヤーであり、ゼットン倒すのは無重力弾なのだ。
その意味で、やはりラストに野明がアルフォンスを降りて、ショットガン?を零式に撃ち込むところは白眉の展開かと。
なんだかんだで
冷静に人がトドメを刺すのだ。
怪獣は人間が倒さなくてはならない。
666のドッグタグを付けた烏は、目が赤くても機械ではないから殺されはしない。
大量の鳥たちは、台風から逃げてきただけなのだ。たぶん。
にしても、香貫花
「 Sightseeing? 」
「 No. Combat. 」
のやり取りには笑ってしまった。
Combatって!
そして・・・どうやったら後藤隊長みたいな大人になれますかね・・・