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作品名記述者記述日
パーフェクト・ノーマル・ファミリー唸るバクテリア2022/01/28★★★★

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さて、年始の映画でなにを見ようか?
いろいろ見回した結果、「パーフェクト・ノーマル・ファミリー」見ました。
ちょこっと入れてた事前情報から、なんだそれ!思ってたんだけど、実際になんだそれ!映画だった。面白かった。
いや、わかる。わかるのだよ。
愛はあるし、愛の深さもわかるけど、なんだそれ!とは思う。
だってさ、あんだけ「バルサ」「バルサ」言ってたのに、結局チェルシーかよ!(そこ?)
面白いのは、主人公のエマから見ると、性転換した父親トマスなアウテーネより自分の方がマイノリティなのだ。
アウテーネがマイノリティだからというステロタイプな差別は出てくるのだけど、違う。人間として、エマは少数派なのだ。
だからこの映画は、アウテーネが素直に女性コミュニティへ溶け込んでくのに対し、本質的にピュアな孤独を起点として、保守性を発揮するエマの構図なのだ。
ここでのアウテーネの心情は想像ができるのだけれど、パンフの石黒暢が直接言及してるサッカーの件よりも、西原の身体性の変化と心理の変化についてのコラムの方がより納得感がある(石黒暢が悪いわけではない本稿の趣旨というかに近い)
なので、必要以上にエマへ感情移入しながら見ていたのだけど、ボウリング場で姉のカロリーネが怒ったシーンでハッとしたのです(あのカミングアウトのタイミングは無いわぁとも思ったがw)
カロリーネも孤独だったのだ。おそらくは家族の中で。
パパがママになって、孤独が解消されたんだ!
目から鱗がボロボロと音を立てましたよ。まったく。
そうか。自分の孤独に溺れてはいけない
よく考えれば当たり前の話だし、
あんたのせいでパパがいなくなるんだ
と言い捨てられてみりゃわかるけど、アウテーネとカロリーネの仲の良さは、女性コミュニティの参加しやすさに直結する。
おそらく「姉妹のようだ」と形容される家族関係。
ママ(ヘレ)がどちらかというとエマ寄り(しかし、登場シーンがすくなくて見極めきれない)な人に見受けられたから尚のこと。
この辺の家族間の襞描写が、本当に絶妙で言葉にすると漏れていく感触がしっかりある。
その点が真に良い映画なのです。
エマ(カヤ・トフト・ローホルト)の芝居が抜群で、そりゃ、デンマーク映画評論家協会賞で主演女優賞も頷ける。
とくに表情が素晴らしいので、時々ノンフィクションじゃないかと勘違いしてしまいそうになる
ウオッカを呑んで吐くとかもよくやってるし、もうちょっとサッカーシーンがあれば完璧だった(サカヲタ脳)
ただ、カロリーネ(リーモア・ランテ)は14歳に見えないぐらい体つきがエロいし、ヘレ役のニール・ランホルトが好みの顔なので、違う意味でも悶えるのだけど(最低だな)

ただ、この映画の白眉は随所に挿入されるホームムービーなのだ。
パンフでもそこまで明確に言及されていないのだけれど、ラスト以外はすべて、監督マルー・ライマンのリアルなホームムービーじゃないかと想像する。
なにが「パーフェクト」で「ノーマル」な「ファミリー」なのか?
デンマーク語がわからないけど、原題の「En helt almindelig familie」もおそらく同じ意味だ。
上述したとおり、極々ありきたりな性差別の悪言も出てくるけれど、この映画を見て、このタイトルを振り返った時、デンマーク、いい国だな。と、初めて思った。
惜しむらくは、デンマーク文化というかプロテスタント文化に詳しくないので、劇中カロリーネが大事だと言い続けていた「堅信式」の説明がパンフにも無かったこと。
おそらく、もうちょっと石黒暢にはデンマーク文化について言及して欲しかったんだと思うんだけどなぁ・・・パンフ。
副読本としては良い方なんだけどもさ。
ただ、監督マルー・ライマンのインタヴュは抜群に素晴らしい。
誰もが誰かを表現できるべきである
ベターとマストを混同してはならない。

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