祝!アカデミー賞主演女優賞受賞。
全裸のエマ・ストーンが見れるからというのももちろんあるけど、この歪んだフランケンシュタイン設定はアがるよね!ってことで、みんな大好きサーチライト・ピクチャーズの「
哀れなるものたち」見ました。
まさか、前半白黒だったとはいえ、
両サイドの客が鼾かいてたよ!しかも、左のオッサン咳き込んでたから、
本気で死ねばいいと思ったよ!!!
閑話休題。
たしかに、エマ・ストーン as ベラ・バクスターの名演ではある。
眉毛の太さやおっぱいやアンダーヘアーや騎乗位やSMプレイとかではなく、見事な成長譚であり、見事な行きつ帰りし物語。
英雄譚。
この物語を支えてるのはエマ・ストーンの芝居力であり、歩き方ひとつで、表情ひとつで成長を見せつけるのが芝居でなければ、なんなのか!というお話。
重力にまぶたが逆らえず、瞬きの多い人間としては、
あんなに瞬きしないのは尊敬しか抱けない(なんだそれ)
新宿ピカデリーが額縁上映だったので軽くうんざりではあったのだけど、IMAX撮影ではなかったようなので、どこで見ても額縁上映だったかもしれない。
映像演出は、産まれる前と世界に出る前は白黒で、世界に出てから、もうすこし言うと自分を確立しはじめてからがカラー。
これはわかる。
たぶんきっと、誰でもわかる。
ただ、なんで魚眼なのかわかんなかったんだよなぁ。悔しい。
魚眼じゃないけど、円レンズで撮ってたのは、たぶん、成長の瞬間を表現していたのだと思うのだけど。
パンフで清水崇史は、そこまで意味があるような解釈はしてないようだったけども。
CG多用映画の中で、きちんとフィジカルを使っていた壁や小道具・カーペットを、カットでつないでエンドロールするというのが印象的なとおり、映像は明確に意思を持って撮られていたから、退屈な時間は無かった。
だから、読み切れなかったのは悔しい。
と思ってパンフ見たら、むやみにセット作ってたのね。頭悪ッ!(褒めている)
この辺は、ひとえにヨルゴス・ランティモス監督のゴシック趣味というか、スチームパンク趣味だよなぁと。
蒸気で走る馬車の先頭に馬の頭だけ取り付けてる、あの馬鹿さ加減に爆笑しましたよ。俺の他に笑ってる人いなかったけど。
セットというかで言えば、パンフに書いてあってやっぱり!思ったけど、衣装の変遷はベラの成長と相まって、目に楽しいなぁと。
ちなみに、ちゃんと嘔吐シーンもあるので良い映画。
もうちょっと性欲刺激されるか思ったら、そうでもなく、むしろちょっとした下ネタにしか見えなかったのは、俺が歳を取ったのかとも思ったけど、パンフで原作翻訳者の高橋和久が言っているように、「どこかあっけらかん」とした性描写だから。
つまり、序盤から「快楽としてのセックス」ではなく、「楽しみとしてのセックス」や「学習のためのセックス」だからで、なるほど。そもそもセックスが大人の象徴であることは、極めて子ども的だ。
「
G戦場ヘヴンズドア」で町蔵が
「
セックスすれば、なにか変わると思った 」
梨井裕美子に言ってたとおり、童貞らしい妄想ではある。処女であっても大差はない。
この意味においては極めて男性的な幻想とも言える。
アトロクの「哀れなるものたち」評で、たれさんが投稿されてた「スノップな文化人男性が描いた夢」は頷かざるを得ない。
似たような話だと「
こねくと」で、でか美ちゃんが
「
女性の自由が性一辺倒なのはどうかと思う 」
と言うのも、適切な意見だと思う。
また、ある意味ではセクシャルさを売りに出てたでか美ちゃんは、ベラその人とも言えるし、でか美ちゃんは自由に束縛される男を引いてしまうんだろうなぁ(と書いたあとに結婚発表された。おめでとうございます)
だけど、この映画のプロデューサはエマ・ストーンであり、上述の「G戦場ヘヴンズドア」の作者は日本橋ヨヲコだ。
ベラがセックスを「熱烈ジャンプ」と呼んでいたのは船上まで。
事実、ラミー・ユセフ as マックス・マッキャンドレスとの関係は、パンフで「プラトニック」と形容され、エンディングでそばに座っているのは同じ娼婦だったスージー・ベンバ as トワネットだ。
この辺はフェミニズムと言うより、
やはり自由と解放の物語らしさであろう。
と同時に、行きつ帰りし典型的な英雄譚の構造で語られるのは、なんだか示唆的である。
本来的にはベラが帰る必要はなかった。
すでにベラはセックスを使いこなす大人であり、自由だったのだから。自由の維持方法を身につけていたから。
けれど、ベラは戻った。自分の意思で。何故か?
ひとつは、それが幼年期の約束であっても自分で決めたことだからじゃないか?と。
仮に誰かを裏切ったとしても、自分まで裏切ってしまったら
それは自由でも解放でもないのだ。
なおなお、性教育という名の下にベラのSEXに立ち会わせられる少年兄弟の場面があるのだけど、インティマシ・コーディネータ必要?思ったのだが、カット割り見ると、もしかしたら少年達はそゆシーンだと思ってない可能性があって、もちろん、あの歳でエマ・シーンの濡れ場見ちゃったらいろいろ歪むのだけど、流石プロデューサ様!とも。
いや、貧乳は貧乳で好きだろ(そこまで貧乳ではない)
巨乳は好きだけど、腹肉に萎えるから、だったら貧乳のが好きだぜ!ああ、貧乳揉みたい。貧乳(下衆アピール)
ラストシーンは、ある種のハーレムなんじゃないかなぁ。
好きなモノしかないってのは「哀れなるものたち」かもしれないけど。