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イヴェント名記述者記述日
ゲルハルト・リヒター展唸るバクテリア2022/10/20

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何気に楽しみにしていた「ゲルハルト・リヒター展」を見に国立近代美術館へ。
予備知識はあまり無いのだけれど、先に行ってた上司から「 思いの外、混んでる 」という話も聞いていたので、覚悟して行ったら、たしかに結構人がいてビックリ。有名だっけ?リヒター。
それはともかく、見事に現代アートだなぁと。
臍曲がりと責任感。
それはドイツ人であること、戦中に産まれたことが大きいに違いなくて、背負わざるを得ないのでしょうね。まったく。面倒くさい。
殊、曖昧にしたいことと曖昧にできないことの境界が、何気に明確であること。
見ることに対する思慮というか、見ることの暴力性への嫌悪感というか、距離を取りたいのがよくわかるなぁと。
なので、チケットのメインビジュアルにもなっている「ビルケナウ」のモダンさと背景の恐ろしさというか、重たさですよね。
さっぱり知らないで見ていて、最後にチラリとゾンダーコマンダーの写真が展示されていて「 ほぇ 」思って展示エリアを一度出て、ちょっとリッチな作品リスト見て事実を知り、慌てて再度見るっていう。
左右両側の壁に、現物の「ビルケナウ」と写真の「ビルケナウ」が対象に展示される空間。
真ん中には「グレイの鏡」が貼られ、その向かいの壁には、元となったゾンダーコマンダーの写真。
この空間の異様さはなんなのか?
知らなければ、赤と緑と黒の組み合わせは無条件にテンション上がるな!とか、ちょうど、今日の俺の格好は赤と緑と黒だな。とか、頭の悪いことばかりを並べ考えていたのがうんざりする
すくなくとも、並べられるような人間ではないし、意図も無い。
あと、イヴェントのメインビジュアルである女の子は娘で、何気に叔父とか奥さんとか、結構身の回りの人を描く人でもある。
でもって、境界をボンヤリと描くのは、プライヴァシィと個人そのものを描くのではなく、個人を通して「なにか」を描きたいって現れなんじゃないだろうか。
しかし、しかしだ。
買ってしまうポストカードは、フォト・ペインティングなのだけれど、まるで怪獣みたいだからという、しょうもない理由だったりする。
重さとポップさと曖昧さの同居は、本当にモダン。

んで、2階に上がって、MOMATコレクションの11室「ゲルハルト・リヒター」と12室「1990年代の風景(ランドスケープ) 都市/美術/テクノロジー」見たのだけども、この並びだと、阪神大震災の写真作品以外は、ちょっと隠喩が安直すぎてガックリするなぁと。
やはり、比喩は平易に気付かれてはならない。そこが安っぽさに直結するのだ。難しい。

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