何歩譲っても、企画が頭悪いというか、どうかしているのがこの上なく愛おしいので、見ない選択肢が思いつかなかった「
さかなのこ」
ヤだ。もう、
のんちゃんがさかなクンさんにしか見えない。凄い。※本稿はすべて「のんちゃん」「さかなクンさん」で統一しています。
名演というか、本人。ハマり役が過ぎる。
もちろん「
TOPPAN INNOVATION WORLD ERA」の、のんちゃん×さかなクンさん対談で、見る前からハマりっぷりはわかっていたことでもあるし、二人とも自閉症スペクトラムに見受けられるので、そりゃハマるはずではあるのだけど、いやいや、のんちゃんはやはり
役者としてお見事ですよ。
オープニングで言い張ることなんかより、実際に映像としてセクシャリティを超越している。
キャスティングの勝利。
とくに、大人になってからミー坊 as のん と、モモコ as 夏帆が、ミツコ as 永尾柚乃を連れて海へ行く場面。
モモコは「
こんなの普通じゃない 」と言うのだけれど、恋愛関係ではない疑似家族関係を評した台詞のハズが、のんちゃんと夏帆という中の人のセクシャリティを踏まえると、そこに違う意味が生じる。
しかし、このご時世にそのような関係性を「普通じゃない」言うのは、コンプラ的にアウトだったりもする。
入り組みすぎじゃね?
とも思うのだけれど、しかし、そこでミー坊は
「
普通ってなに? 」
と無自覚に問うのだ。
これは凄い。
さかなクンさんであるのんちゃんが「普通」を問う構図は、おそらく、ジェンダー的な文脈や恋愛論の文脈を認識していなくても「普通」でないと理解できるだろうし、しかし、映画の中では極めて「普通」でもあるのだ。
「普通」の語の曖昧さが、恐ろしくあぶり出される。
それはともかく、のんちゃんの表情の豊かさは群を抜いているし、台詞の無い芝居にこそ妙味が出るなぁと。
さて、映画全体はたしかにすこし長い。
余韻が必要なシーンはたしかにいくつかあるので、それはまぁ仕方ないんだけど、じゃあ、あのラストシーンの余韻が良いのか?というと悩ましい。
オープニングと対象構成ではあるのだけど、であれば、それこそ子どもミー坊が出てくるべきで、ただあわせただけに見える。韻踏めばラップなのか問題に近しい。
パンフを見ると結構対称構造を意識してるのだけど、もうちょっとわかりやすく配置してもいいのではないか?という気にもなる。
似たような話で、ミー坊がテレビ出演する過程は良いのだけど、その結果として出演場面を(おそらく離婚した)父と息子に見せるぐらいなら、モモとミツコに見せるべきじゃないのか?
もしくは、ミー坊の魚辞典を与える母はモモであるべきじゃないか?受け取るのはミツコであるべきじゃないか?
この二人の幸福を描かないのは、すこし、歪だ。
なんというか、詰めが甘いというか、そこはベタでもやりきろうよ!っていう。
にしても、ミー坊の母ミチコ as 井川遥はなかなか良い女優になったなぁ。
もともと井川遥は大根だった認識なのだけれど、ああやって、すこし長い時系列でひとりの人を、しかも母親をやらせると、ハマるなぁ。
で、なにが一番って、ボンヤリわかっていたことではあるのだけど、さかなクンさんは
否定をしないのだよな。
常に肯定をしている。
おそらく、それは母親ミチコの影響が大きい。ああやって、ずっと肯定され続けてきたから、さかなクンさんは肯定を照れない。受け入れることから逃げない。
どうも、本当のさかなクンさんのお母さんもそういう人らしい。
ああ。仏様って、もしかしたらこういう人かもしれない。
そういう人にわたしはなりたい。
なれないけど。
それは、のんちゃんが演じていても。なのだ。
ちなみにちなみに、ギョギョおじさんは、むしろさかなクンさんの憧れなんじゃないかと。
ロールモデルがいなかったさかなクンさんは、ロールモデルに憧れるのではないかと。
にしても、ハコフグ帽子を被ってたら、どんなに怪しく見えても「さかなクンさんならいいか」思ってしまう
日本、怖いな!
なお、エンドロール。
イントロ聴いた瞬間はちょっと違くね?感じたのだけど、いやいや、CHAIはさかなクンさんに一番近い日本のロックバンドなんじゃなかろうか。
好きを貫いて海外だもんなぁ。
サントラがパスカルズってのも、同じような文脈。
でもって、スペシャルサンクスの「ゆでたまご」に吹いた。
あれ、オフィシャルだったんか!!(ネタバレ)
あまりに魚が食べたくなったので、帰りにアジの開き定食を食べました。