アカデミーシーズンってことで、2週続けて作品賞ノミネートを。
ってことで、新宿ピカデリーで「
センチメンタル・バリュー」見ました。
エンドロールが終わって後ろから拍手が上がったのだけど、如何せん、ワタクシの体力が無かった。申し訳ない。
あと、ピカデリーで見たのは失敗で、ノルウェー映画だけあって色調が押さえられていて、余計に暗い映画に見えてしまい、眠気が増すのであった・・・
閑話休題。
良い映画なのだ。「色調が押さえられている」と書いたけれど、実際のところは「大人の色調」とでも言うべき色彩で、リッチな絵作りと落ち着いた語り口。
ナチスと人間のゲスっぷりまで描いた端整な物語なのだ。
だからって、あの父親グスタフ as ステラン・スカルスガルドを
赦していいのか?とは思う。
いい歳こいて若い子に「好き」とか言われたから、浮かれて夜通し砂浜で遊んじゃったりとかして、いいカッコしいで「君を主役に映画撮るよ」で、撮影はじめたら「やっぱりお前は俺の女じゃねぇ」って、
雑に言い換えるとゲスの極みじゃなかろうか。
「家族」ってラベルを貼れば、このゲスさが消えるのか?ったら、
それは違うと言わざるを得ない。
ずっと離れていたけど知っていた。愛は続いていた!って、そんな一方的な感情を優しさで受け止めてあげる必要はあるのか?
無くね?
と、素直に思う。
もちろん、パンフの森百合子レビューにあるとおり、ちゃんと描写はされている(しかし、森百合子レビューは素晴らしい)
でも、同じパンフの段塚唯我レビューのとおり、今ひとつ呑み込みにくい感慨がたしかにある。
だから、家族の再生の物語と素直に捉えるのはちょっと辛い。
男の傲慢を赦すのか?と。
しかして、まさかちょうど高木美帆と高木菜那で号泣した直後に見たのだ。この映画。公開2日目の土曜夜。夕飯食べた後。
そして見ていて不意に思い出したのだけど、我は妹2人の兄だった。
つまり、この映画を妹2人の物語として見はじめてしまったのだ。
終盤で気付いたからセーフではあるのだけど、ウチの妹2人にここまでのセンチメンタルさは無いだろうが、アレ?もしかして俺、高木姉妹に心がこんなに振れてるのは、もしかして、兄として見ているのか?
そしてそして、こんなに傲慢へ怒りを抱くのは、もしや、自分を父親に重ねているのか・・・?
ああ・・・辛い。
家もさ、別になにも無くて、ウチの両親が建てた家だけど、相続することを前提に考えていたりもすると、あそこまで印象的な見た目でないにしても、やっぱりなにか感慨じみたモノを抱いたりする。
そう・・・父方の実家よりも母方の実家に対する思い入れがそれなりにあって、残すつもりだった母が、わりとサクッと売り払ってしまったことにボンヤリとしたショックを抱いていたのだけど、もしかしたら、祖母が亡くなった家を持っていたくなかったのかもなぁ。とか思い至ってしまう。
今頃。
にしても、上演直前にあそこまで取り乱されたら、流石に困るよなぁ。
日本だったら絶対週刊誌ネタですよ。「ぷっつん女優」とか書かれて。
でも、ステージに立ってから、まさに水を得た魚の演技を見せるノーラ as レナーテ・レインスヴェは迫真の芝居だし、自殺未遂や不倫の強かさにも、ちょっとした説得力がある。
対称的にアグネス as インガ・イブスドッテル・リッレオースの、落ち着いた芝居は姉の不安定さを受け止めた上であることが、よくわかる。
そして、レイチェル as エル・ファニングは、ある種の噛ませ犬なんだけど、いいポジションかっ攫ってったなぁと。
もちろん、息子ちゃんは絵に描いたようなパツキン白人で、カワユスでした。
ざっと検索しても個人名が確認できないのだけど、どのように育つのか興味津々です。
でもって、パンフはまたもや大島依提亜デザインなのです。
どういう勢いで仕事しているのか?怖い。