「
セッション」見ました。☆3つ。
凄い映画だったんだけど、あのスタローン似な主人公が、
とにかく嫌い!
なんていうか、ずっと映画を見終わってから
「どうしてこの映画がここまで生理的にあわないのか?」
を考えてたんだけど、要するに
主人公と自分が似てる気がしたんだね。
だって、田舎の勘違い野郎って、だいたいあんな感じでしょ?
自意識が無闇に肥大化していて、才能の欠片も無いのに、自分には出来ると思いこんでたりして、恥ずかしいから人前に出るなよ。と、こっちは思ってるにもかかわらず、羞恥心の欠片も見せずに大口叩くっていう。
ああ厭だ。ああ厭だ。
帰ってから、タマフルのシネマハスラー聴いてても思ったんだけど、こんなヤツに感情移入できないし、ワンスアゲインモノの主人公としても見なすことが出来なかったのは、
そもそも自分がそんなにカッコいいヤツじゃないってことの裏返しなのかもしれない、
だいたいさ、自分の気分に合わせて女の子に声かけるヤツなんて、
ロクなヤツじゃないよ(数々の失態と重ね合わせながら)
だからトラックとぶつかった時なんて、
そのまま死んでしまえ!と思ったんだけど、一番はやっぱり最後の場面ね。
なんなん?あのハッピィエンド的な終わり方は。スゲェムカツクの。
自己中糞野郎が、周りを帰り見ずに自分勝手の我が儘でドラム叩いて、
なにがセッションだ馬鹿野郎!っていう。
もちろん、カタルシスを感じてはいるんだけどね。
実際、「セッション」は邦題で、ホント、GAGAは邦題センスねぇーな!ってのもあんだけど、そこで認められたら、才能の欠片も無いヤツでも、
努力すれば認められることになっちゃうのが、一番ムカつくんだと思うなぁ。
それはたぶん、鈴井貴之をこのところ、極度に忌み嫌ってるのと同じような感じなのかもしれなくて、つまり、
己の度量の無さに起因するんだけど、でも、やっぱり
この映画はムカツク映画ですよ。
すくなくとも、主人公の素養は無いよ。あのシャクレに。
タモリ的なジャズ感で言うと、ジャズな人間として生まれてないヤツが、まるでジャズな人間として迎えられるようなエンディングは認められないんですよ!