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作品名記述者記述日
竜とそばかすの姫唸るバクテリア2021/08/20★★★★

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予告編見る度に「中村佳穂尊い!」という、なんだかよくわからないテンションになる「竜とそばかすの姫」見ました。
もしかしたら、5なのかもしれないけど、まだ巧いこと言語化できない。
なにに驚いたって、エンドロールですよ。まさか振付に康本雅子!!!
パンフにスタッフロール全録してないから正式な肩書きが定かじゃないんだけど、康本さん!!
こんなところで康本さんの名前を見るとは思わなかったので、ちょっと動揺を隠しきれない。
そうか、あの動きは、中村佳穂っぽくはないとは思っていたけど、康本雅子か!気づかなかった。ファンのくせに迂闊。
唄はもちろん良いのです。大半が中村佳穂の作詞であるから中村佳穂楽曲としても良いのだけど、細田守と共作になっているのは、完全にミュージカルを意識していて、劇的な効果も大きい。
なによりだ、あのクジラが最高なのです!
クジラグッズ、リングノートとトートバッグしかないんやで。Tシャツあったら買ってたのに・・・
つか、いいからさっさとサントラ売れや(落ち着け)
改めて言うまでもなく、岩崎太整の劇伴は抜群の安定感。
それはそうと、一回見て消化できていないのです。
構造としては「サマーウォーズ」と「美女と野獣」ってのは、企画発表時点で理解はしてた(パンフ中でも再三言及される)んだけど、「美女と野獣」をこのご時世にあのままやるというか、このタイトルをパブリックな資本でやるのは難しすぎるわけで、どうすんのかなぁと思っていたら、ゴリゴリのルッキズムがテーマで、ゴリゴリの悪意、違うな。下世話な好奇心批判で、最後の最後はまさか「おおかみこどもの雨と雪」の変奏曲だった。
ビックリした。
なので、あのシーンは雨が降っている必要があるし、坂の途中である必要もある。
単なる「おおかみこどもの雨と雪」のラストシーンの再演じゃないか。
閑話休題。
最初の40分ぐらいが超ハイテンポで展開して、正直テンポ感を誤って見始めたので、最初泡食いました。
たぶん、前半は最初もっと長く作っていて脚本書いてたけど、コンテでガツガツ切ったんじゃないかという妄想。
YouTube世代と言われる今の子たちは、あのテンポがむしろ普通のモノだとは思うんだけど、しかし、YouTube世代の見てる動画って中身が無いので、あんだけ情報量が多いと、いずれにせよ消化できない気はする。
いずれにせよ、早い目に嘔吐シーンがあったので、この映画は名作で確定です。
吐瀉物が緑なのはどうかと思ったけど。これだから日テレは!
その結果として、ある意味ハイライトたる「美女と野獣」パート(=ミュージカルパート)後はグッと「間」の芝居が増える。
とくに、駅での告った告ってない的なやり取りは、アニメだから見てられるけど、舞台なんかでアレを見たらハラハラして仕方が無い。
怖いだろうに。
ちょっと、超ハイテンポは細田守らしくないというか、細田守新境地というか。
御大(=富野由悠季)だとアレぐらいの無茶は普通にやるのだけど・・・
そうそう。「ジャスティス」のリーダ「ジャスティン」のキャラデザインが手塚治虫的だなぁってのは、なんらかの意図があるんだろうなぁと。
自分たちで「正義」を自称する自警団の危うさみたいなモノは、図らずも入江悠「シュシュシュの娘」にも見受けられ、たしかに手塚作品には散見されるからって象徴性も感じるのだけど、たぶん、違うところに理由があるんだろうなぁと。この辺、読み切れず。
キャラデザの話だと、竜のアザが全然アザに見えない問題もあるのだが、虐待の痕跡だとすれば綺麗に見せて良いのか?という疑問もありつつ、アレはちゃんと実の肉体を見せるべきだったんじゃないかなぁと。
犬は脚が欠損していてもいいのに児童虐待は映像化しちゃいけないって、それは映倫が間違ってるだろ(偏見)
さて、そもそも「U」に対するツッコミは、しても栓の無い話なんだけども(なんで「BELL」みたいな4文字アカウント空いてんねん!)(耐えられない)、やはりどうしてもせざるを得ないツッコミは、すずはそばかすが残っているだけでブスじゃないし、ベルが唄っている歌はちっとも変な曲ではないことだ。
信頼と実績の常田大希。恐ろしい人。
そこで「変」と言うのは、たぶん、この映画の本題のひとつで、なにかにつけて「変」と呼ぶことの変さみたいなモノは、思春期だからこそ気になるものであり、田舎であればこそ気になるものである。
日本でもトップクラスの田舎者が言うんだから間違いない。
赤平舐めるな。馬鹿野郎
しかし、あの田舎は楽園としての田舎でしかないし、今回は対インターネットの「下世話な好奇心」だから、田舎の排他主義には言及されない
そこまで行ったら話が拡散しすぎる。
細田守作品にしては珍しく、片親が父親なのだけど、父娘の話は割とサッパリ目で、夜行バスのやり取りは泣いてる人も多いだろうけが、しかし、テンプレ的でもある。
んで、なんでこんな父親の存在が弱いのか(と解釈してるのが少数派だという自覚はある)と考えてたのだけど、そうだ。すずを囲む男性陣が父親だからだ!
男性陣の声が軒並み壮年に聞こえていて、竜の時の佐藤健は良いのだけど、恵はやっぱり違う。
同様に、しのぶくんは作中「母親みたい」と言われていたけど、あの背中の押し方は、ある意味で父親的なのだ。
ただ一人、カミシンは男の子感あったけど。つか、染谷君が細田守作品に馴染んでるからかもしれないけど。
この流れで声の話をすると、中村佳穂は全体として名演なのだけれど、細かいところではやっぱり芝居が気になるところはある。
それよりも、幾田りらにビックリ!あそこまでハマり役だとは思わなかった。助演賞決定ぐらいのお芝居。この人はビッグバジェットアニメは必ず声がかかるんじゃないか?とくに、おばあちゃんの食堂というかで、定食食べるところのおじいちゃん先生が好きって件と、すずのことをわかってると許容する件。
後者は本当に泣けて仕方がないぐらい好きなシーン。
台詞をきちんと覚えていないのが悔しいのだけど、あの台詞は、俺があの娘に言いたくて言いたくて仕方が無い者なのだ(突然なにを)
で、母親の島本須美は登場時間の短さに対して、インパクトは大きい。
たしかに、あんな風に言われたら止められないよね。死ぬ理由というか、死の経緯がよくわからない(ライフジャケットを渡したあと流されたと考えるのが筋だが、子どもだけ渡して流されるには、あの川狭すぎないか?)んだけど、すずが覚えていないのだろうから仕方がない。
その代わりに母親を務めるベテラン陣は坂本冬美も含めてガッチリな印象。
なにせ、クラスメイトが全然わかってない事実をサックリ見抜いている(恐ろしいご都合主義!
なんて無責任なんだ! 」って怒りの声が散見されるけど、でも、この役者陣なら無責任の方が合ってる気がするぞ(言い方)
もともとがすずに対して見守りプレイしかしてないわけだし、唐突に虐待に遭遇した時、適切な対応取れる大人が世界に何人存在するのか?
当事者でもないのに真人間ぶるんじゃねぇ!って気もある。
まぁ、脚本としては恐ろしいご都合主義なのだけれども。
子どもに対して、役と役者の年齢差が大き過ぎる感じはある。
つかね、決定的な問題は、ベルの売れる経緯なんですよ。だって、日本語だぞ。唄。
違う。それは富野用語でいう「枕」だから気にしちゃいけない。
一番の問題は、どうしてベルが、すずが、初めて会った竜に対して「誰」なのかを気にしたか?なのだ。あんなに「誰」に執着したのか?なのだ。
存外、ここにツッコミを入れている人がすくないよう見受けられる。
「誰」への終着は、とてもオッサン的に感じる。「今」な感じがしない。
「U」という空間において、なんだかんだでアンベイルに怯えていたすずなのだから、「誰」を問うことは自分が何者であるかを問い詰めるブーメランでもあるのハズなのだ。
「誰」に価値があるのでは「U」の(今風で言うところの)Purposeである「さあ、もうひとりのあなたを生きよう。」に反す。
だから、あそこで迂闊に訊けないと思うのだけど・・・
なので実は、コンテでカットされた脚本に、そこへ到る描写があるのでは無いか?とも思っていたりはする。
だって、そこで「誰」を問うのは、この物語のテーゼだったはずなのだ。
そうでなければ、繰り返す意味が無い。

しかし、最後、ベルをアンベイルしてすずになると、すずは部分的に赤の輪郭線で描かれる。
それは竜と同じロールを割り当てられたことを意味する。
「社会」のフレームから外れたことを意味しつつ、同時に誰かを守る覚悟を持って「U」に参加していることも意味をする。
なにより、赤の輪郭線ってカッコいい!(待て)

でさ、すずはしのぶくんと恵、どっちと付き合うのが良いんだろうね?

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