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洋画

作品名記述者記述日
スターダスト唸るバクテリア2021/11/12★★★★

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TOHOシネマズの割引が切れそうなのもあって、なにか見るべとチェックしてたら、そうだ!デビット・ボウイの「スターダスト」があるじゃないか!
見終わって、URL見て納得。
デビッド・ボウイは最初からデビッド・ボウイだったわけではないという映画。
だから、いろいろ危ういところはあるけれど、自分であることを諦めてはいけないという映画。
その点において、明確に結末へ向かっていくのは、ある種いろいろなことを端折っていて、説明が足りていないのだけど、まぁ、この映画を見に来る人には伝わるでしょ?といわれれば伝わるとも。
つまり、単なる痛い人が本物の痛い人になる映画でもあるのだけど、最後の最後までちゃんと恐怖を抱いている点において、人間デビッド・ボウイを描いているのです。
宇宙人ではない。
虚栄心とプライドが厨二病のように渦巻いている。
なので、絶対的に嫌いになれない。
そしてそれがアメリカで壊れていくのは、ある意味でアメリカンドリームの反転でもあるのだけど、現実をひたすら見せつけるのも、ある意味でアメリカ的ではある。
個人的に一番の爆笑ポイントであるアンディ・ウォーホルの悪口は我が意を得たり感すらある。
周りの誰も自分を信じてくれないが、一人だけ信じてくれた人は、失敗しまくりな自分を最後まで信じてくれた。
もちろん、そこには決定的に「作品」が存在しているから。
だから、作ることを諦めてはならない。
いろいろなことが崩壊していく中で獲得された自分は、劇中再三言及された
デビッド・ボウイは何者か?
のアンサーだし、問われることでしか「何者」に辿り着けないとも言える。
その意味では辛い映画でもある。
だから、兄のなれなかったシンガーになれたという事実がきちんと刺さる。
シンガーとして生きなければならない。
もうちょっとだけ、撮った映像があったのだろうと想像するが、ラストシーンはアレしかないし、エンドロールはデビッド・ボウイ本人でなければならなかったのは、ある種仕方がない。
そこを補足するオフィシャルのコラムが出色なので読むべき。
いずれにせよだ、40にもなって、まだ「何者」でもない自意識を抱える残念な人間にとって、絶対的に「何者」かだった人間も、「何者」かになろうと喘いでいた事実は、気休めになるのです。気休めに。
にしたって、煙草吸い過ぎな。お前ら。

そして、あんだけ似合っているように見えた、デヴィット・ボウイとアンジー・ボウイは離婚するのね・・・

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