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作品名記述者記述日
スチームボーイ唸るバクテリア2004/07/19★★★★★

高校時代にU・Bは放送局にいて、しこしこラヂオ番組やらテレビ番組を作っていた。間尺は7分から10分程度で、そこにいろんなもんをぶち込んでNコンやらなんやらに出品しては全道大会で終わる青春だった。
高校卒業後後輩さんが作った番組に「ミス・コミュニケーション」というのがあった。
これがわりといいアイディアで作られてたんだけど、まぁ磨き足りなくて結局全道止まりだった。
大会のあと見せてもらって、U・Bはこんなことを言った。
「視線交わさなきゃ良かったのに」
交わった時点でコミュニケーションは成立してしまうから

この映画に出てくるキャラクタはどれも個性的である。よく言えば。悪く言えば単純バカで、自分のことしか見えていない。
従って会話はほとんど噛み合わないし、勝った負けたの結論も訪れない。
大友らしいと言えば大友らしいのだが、はたしてどうしてこれで2時間もつのか?
それは、噛み合わないことでコミュニケーションが成立しているからである。

上の一文はなにも矛盾しない。
なぜなら、日常において交わろうとしているから交わらないとコミュニケーションが成立しないのであって、最初からお互いに交わろうとしていなければ、その前提を媒介にしてコミュニケーションが成立するのである。
交わりたくないという共通認識の上でコミュニケーションが成立しているのだ。
したがって、全員が全員自分のエゴで動いているのに話がきちんと噛み合っていく。
最終的に主人公格のキャラクタは、どれも排除されることなく話が終わるのもそのためだ。
交わろうとしていないから、他者を排除しようと思わないのだ。

「いやいや、ロイドはエディを、スチーム城を排除しようとしてたじゃないか」
そういう人はいるだろう。が、はたしてそうだろうか?
ラストシーン、潜水艇で脱出したのは二人揃ってではないか?
そもそも、なんでスチームボールを破壊しようとしなかったのか?
なにより、なんだかんだ言ってヤツら二人とも自分たちの思いを具現化させてんじゃん。

エキセントリックに見えるスカーレットの言動も、交わる気がない、正確に彼女を表現するなら、交わり方を知らないがためと見れば、可愛いと思える。
「イギリスに勝て」と言ってのけるが、金よりも人命の方が重いという、一般的な倫理観を彼女はきちんと持っている。
そもそも、交わりたくないという意志は一般的ではないのだろうか?
空虹なら都市的とか社会的とかいう言葉を並べて学術的に記述するだろうが、俺には出来ないんでさっくり書いてしまう。
ウザいヤツとは交わりたくないよね。だってそっちのが楽だもん

唯一の問題は主人公のレイが設定以上に、相当おバカなところにある。
もちろん、これぐらいの年代の子供が周りに流されまくるってのは良くある話なのだけれど、なにより問題なのは登場人物の中で主人公だけが普通に交わろうとするところにある。
だから、結局のところドラマツルギーのためだけにヒロインへ奉られたスカーレットをレイは助けてしまうし、父や祖父も助けようとする。
見ててこいつだけがバカでバカで仕方がない。声鈴木杏だし(それは関係ない)

で、これのどこが「ラピュタ」かってのをちと触れとくと、この「交わろうとしない」ところを「交わろうとする」に変えるとまんま「ラピュタ」なんですよ。
主人公は空飛ぶし、ヒロインは本来城の城主だし、(「スチームボーイ」では形式上の)悪役が城と一緒に消えるし、城は最後綺麗に崩れてくし。
主人公が流されないで、最初から最後までヒロインを助けようとしてれば間違いなく「ラピュタ」。パンフによるとエマを助けに行く話になりそうだったみたいだけど、それだと本気で「ラピュタ」。前半はホントエマがヒロインにしか見えなかったもんねぇ。
これで、エマ、眼鏡かけてたら・・・(それは違う話)

P.S 余談だけど、制作サンライズだからって、「スカーレット号」が木馬な必要は?(笑)


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