せっかくだからと、空虹さんと「
Style Wars デジタル修復版」見ました。
いや〜、これがマッドシティニューヨークか!四十年前か!!!
というのが素直な感慨。あそこまで派手なグラフィティなら、洗い落とさないでもいいんじゃないかな。人間だもの。
車内のは完全に落書きなので、アレは死刑で良いが。
つかね、ストリートカルチャの構図が、見事に資本へ食い尽くされるに行き着こうとしてるあたり、今の目から見るとしみじみ、ああ。資本は怖い。
資本は。
実際、パンフの荏開津の解説もそういう文脈でもあるし。
ある種のプリミティヴであり、厨二病ではあるけど、でも、その意味も価値も皆無なことで闘争するのは、ある種、男の子の憧れではあるんじゃ無いだろうか。
ずっとお母さんが「理解できない」「理解できない」言ってるのも、ホワイトもブラックもいるんだけど女の子がいないのも、結局、「Style Wars」が男の子の遊びでしかないっていう。
このご時世では許されない配役とも言えるけど、いやいや、これが事実だ。80年代だ。
こういう文化が表出された年に生まれたオイラは、そりゃ、こういう文化に毒されて成長してきたわけで、ブレイキングのチーム名が「ロックステディクルー」だったりするから、なんだよ。全然踊ってる曲はロックステディじゃねぇーじゃねぇか!
みたいなね。
そういうのも含めて、70年代の余韻が残る80年代初頭。
あの頃のニューヨークは、ブロンクスは、怖いけど歩いてみたい。地下鉄乗りたい。
そう。香港の裏道を恐る恐る歩いてて、タバコ吸ってるおっさんに襲われたらどうしよう!と思ってたり、重慶大厦でビクビクしながら、間違って一番高いとこで両替したのと同じ。
職安通りは危ないって話だけ聞いてて、初めてあの辺歩いた時も似てるかな。