雑感・レヴュ集 メタセコイア
洋画

作品名記述者記述日
サブスタンス唸るバクテリア2025/08/08★★★★★

本文中のリンク先には、アフィリエイトを含むことがあります。ほぼお金になってないですけど。

そろそろピカデリーの割引使わにゃならんので「サブスタンス」を新宿ピカデリーで見ました。
2025年、現時点ベスト映画。
SFフェミニズム映画だと思って見に来たら、藤子・F・不二雄SF短編になり、実は世にも奇妙な物語だと思ったら、怪奇大作戦かウルトラQで、その結末は河﨑実だった。
なにを言っているのかわからないだろうけど、エンドロール終わっても心拍数が下がらない映画は久々じゃないか。しばらく、体の筋肉がいうことを利かなかった。
そして、帰りのエスカレータ。なんて映画を子連れで見てるんだ?馬鹿か???と・・・
閑話休題。
絵に描いたように下品な男がわんさか出てきて、本当に下品なことこの上なく、トイレで手を洗わないは、エビ食べ散らかした手で人触るは、あまつさえ、トップレスのサンバチームみたいのに目を取られて追いかけるは、下品を絵に描いたようなキャラクタにハーヴェイ as デニス・クエイドと、ハリウッド史上最大の下衆野郎の名前<(しかし、それは歴史的に判明しただけで、もっと下衆野郎は絶対にいたハズなのだ)を付けた上に、徹頭徹尾、尻と乳を追い続けるカメラ。
ラスト、モンスターが吐き出すのは乳なのだ。なんてえげつない!
そう。この映画、全般的にえげつないのだ。過剰の過剰なのだ。
たとえば、嘔吐シーンだけでも、序盤に酒呑みすぎでエリザベス・スパークル as デミ・ムーアが吐いたと思ったら、注射して吐いて、上述の通り、最後には乳を吐く。
他にも数回嘔吐シーンがある。かと思ったら、上述の尻や乳も過剰だし、下品な男しか出てこないし、トドメに血が過剰なのだ。ビバ!河崎実!
でも、一番過剰なのは音楽なのだ。もう辛い。
なにせハイライトに「未知との遭遇」かかったぞ。やりすぎが過ぎるだろ。
そういう意味では、河崎実らしいギャグ映画なのである。
ラストの血塗れっぷりは1人で見てたら、声出して笑ってた可能性もある緊張緩和というより緊張とギャグ。酷い
なにせ、受賞したゴールデングローブの主演女優賞はコメディ・ミュージカル部門だ!石山蓮華が「笑った」言ってたのも納得である。

にしても、デミ・ムーアは凄いのだ。
帰り、前にいたおねぇーさん方も言ってたけど、よくこの役受けたし、中盤以降はデミ・ムーア力で押しきったとすら言える。
脱いでみたら乳首が伸びてるとか余計なことは言うな!あの体型キープしてるだけで充分凄いだろ(テーマ)

もちろん、そこで内面化されているのは男性性だ。
性的であることを商品にすることは、ある意味で自発的なことなのだけれど、そこまでしてでもチヤホヤされたいとも言えるのだけど、この報償系って、きっと進化で辛いことを乗り越えてきたからなのだろう
でもさ、それはそれなのだ。
ひたすら下品である自分を突きつけられるのは、なかなか辛い
男の子だもの。
自覚はあるし、実際に下品な行動していることを否定できない。するよ。後ろ姿見て「エロいなぁ」とか思うわけじゃないですか。
その気色悪さは男女に共通だけれど、男性の外に向けた気色悪さに対して、女性の気色悪さは自分への嫉妬から怪物へと化すことによって描かれる。
人間辛い
エリザベスの言動を同一人物であるからこそ、スー as マーガレット・クアリーになぞらせることで、エイジズムとルッキズムが過剰に誇張され、それこそ茶色乳首とピンク乳首の対比から、肉の無くなった尻とハリのある尻の対比まで(テーマ)

ここに溢れる悪意というか、この怨み晴らさで晴らさでおくべきか!は、明らかに女性監督の仕事だよなぁ。これを男性監督がやったら逆に叩かれるんだよなぁ。と思っていたら、フランス人女性監督コラリー・ファルジャのまんまと思う壷みたいな感慨だったと、パンフを見て知った。
そして、過剰であればあるほど好きな映画と感じる自分の病にも思い至る。
ラストシーンの切なさと、無情に清掃される様たるや!
ああ・・・エロくても下品にならないセンスが欲しい・・・(駄目人間)

広告

BACK

雑感・レヴュ集 メタセコイアBANNER
(C) Copyright Unaru Bacteria,2025
e-mail bacteria@gennari.net