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特別展「東福寺」唸るバクテリア2023/06/08

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前売りで買ったがために、実はチケットのメールを一回削除してしまっており、慌ててメーラのゴミ箱から復元した特別展「東福寺」をトーハクの平成館で見ました。
予定よりすこし早く着いたので、90分あればお釣り来るかなぁと思ったら、見事にお釣りが来なかった。ほぼジャストからちょい溢れ。
ただ如何せん、グッズが趣味に合わないというか、それではないのですよ!ワタスが欲しいのは
もちろん、ヘッドライナたる、五百羅漢や仏手はうひゃうひゃしたし、仏手のアクスタあったら買うつもりだったし、仏手のタオルも5000円ぐらいなら衝動買いしていたことを否定しない。
でもね、一番今回打ちのめされたのは、円爾の遺偈なんですよ。
恐ろしいぞ。禅宗。
死の淵に立った人間に、ホントの本気で最後の言葉を書かせるんだぞ。
さらにビックリすることに凄いことに、文字にその最後の魂みたいなモノが、しっかり残っているように見えて、ちょっと取り憑かれてしまうように見入ってしまった。
もちろん、どうも全体を通してしみじみわかったのだけど、円爾の文字が好みだってのもあったんだけど、大道一以の遺偈も凄かった。
アレがTシャツの物販に並んでたら、7000円でも買っていたぐらい凄かった。
最後の一言を身に纏うというのは、ある種の不謹慎な気もするが極めて仏教的な気もする。
あまり展覧会で書を前にして足を止めるってことは無いのだけど、今回ちょっと新しい価値観を手にしたなと。
遺偈だけの展示があったら、行ってしまう。怖い。
なお、無準師範の遺偈はそこまででもなかった。無準師範、むしろ、牌字「普門院」が素晴らしかった。「普」の字が最高
なおなお、「遺偈」は「ゆいげ」と読みます。ATOKはちゃんと「遺偈」変換してくれる!
で、今回は書に尽きるのです。
あんなボロボロの袈裟どう仕舞ってんの?みたいな、どうでもいいけど気になって仕方がないのや、「虎 一大字」って、カメレオンにしか見えなくね?や、「白衣観音図」の大きさに圧倒されたり、まんまと学芸員さんに嵌められてると自覚はあるけど、五百羅漢図って、ただの1コマ漫画じゃん!とかはありましたけど、書なのです
ちなみに、五百羅漢は下絵がわりと近くで見れたので、食い入るように紙や素材感を見入ってしまった。
それはともかく、今まで何度となく抱かされてきた、達筆に対するコンプレクスが、すこしだけ晴れた気がしたのです。
どんな名筆でもホントの本気で綺麗にまっすぐ書けてるのは多くないし、絵仏師明兆(という字面を目にすると、つい渋谷の中華屋を思い出してしまう)が、母親に送った自画像掛け軸、最初の文字が大きすぎたから全文書き切れなくなって、最後はだいぶ小さな字で押し込んでるっていう、如何にも人間的なミスが見受けられて、ああ、俺も下手なりの字を書いていいんじゃないかと。
明兆的には、あんなのを600年後とかとはいえ大衆に晒されるのは、虐め以外の何物でもない気がするのだけれど
最後の方、グッズにもなってた足利義持のウマヘタ感ある権勢華々しい感ある「閣」も、書を書いていいんだろうなと。
ただ、幾つかあった写経は、プリントアウトにしか見えないぐらい達筆でチビリかけたけどな。
なんてことを考えてたら90分経っていたのです。
ホント怖い。
最近、自分の時間感覚が信じられない。怖い。

この子だけが生き延びたらしい 手だけが残った。しかも、ホントはこの向きじゃない。でも、この向きであることに意味を感じる

ちなみに、立体物は必ず背中を見ることにしているので、360度見れる時は必ず360度見ます。
仏様は昔大学の後輩が言っていたとおり猫背だし、とくに木の「布」感は何度見てもビビるし、四天王や阿吽像の切ってる見得は、完全にスーパーヒーロだなと。改めて。

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