雑感・レヴュ集 メタセコイア
洋画

作品名記述者記述日
ザ・ルーム・ネクスト・ドア唸るバクテリア2025/04/02★★★★

本文中のリンク先には、アフィリエイトを含むことがあります。ほぼお金になってないですけど。

積極的に映画で泣きたいとは思ってないのだけど、とはいえこれ、良心ある大人としては見ておいた方がいい映画なんですよね。
知ってますよ。ええ。知ってますともさ!と「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」見ました。
オープニングギリで入ってきた隣の席のオッチャンが、ほぼずっと寝てて、おそらく八割五分寝てたんじゃないかと。
つまり、寝に来たんか!?
もちろん、ピカデリーの温度設定が高めだったのは否めないのだが、そこまで寝てたのはちょっと狂気。
しかも、ラストシーンは「映画巧いなぁ」って感じの終わり方にもかかわらず、隣のオッチャン「 終わりか 」言ってましたからね。
それ以上言うセリフ無いだろうけど、なにせ八割五分見てないんだから
なんだか最近、こんなのばっかだな。おい。
それはともかく、主役2人マーサ as ティルダ・スウィントンと、イングリッド as ジュリアン・ムーアの濃厚ぶりばりな鬩ぎ合いを堪能する映画なのだけど、見ていて、なるほど。たしかに、この年代がニューヨークにいた1980年頃は、こういう感じだったんだろうな感が半端なく、ちょうど親世代とも言えるような年齢関係で見上げる憧れの残り香。といった様相なのです。
平然と死が並ぶのと同様に、平然とセックスが並び、ナチュラルにハグとキスが繰り返され、そのわりにジムのトレーナは訴訟リスクを理由に、触れてはいけないから指導がしにくいと宣う。
極めて懐古主義的にも聞こえるけど、でも、たった一人のアホのせいで生きることはままならないのだ寝るな馬鹿
物語は、ほぼ二人で進むのだけど、最初から無二の親友だったわけではない。
消去法で導かれた4日程度の同棲に過ぎない。
ヴィラとでも呼ぶべき、正しく終の棲家はビックリするぐらいお洒落で、彼女たちの楽しかった季節の終わりに相応しい気すらする。

緑と赤がポイントで、緑はイングリッド、赤はマーサ。
マーサの最期は黄色のスーツである(口紅が鮮やかな赤)
ついつい黄色は気違いの色((C)石野卓球)と思ってしまうわけだけど、緑のベッドに寝るマーサは赤で、補色の関係はさらに強調される。
補色なのは、おそらく互いの関係の比喩である。
もちろん、お互いの色は交換されるし、上述の通り黄色も着るし、なんだったら最期の夜、映画見てる時にマーサは、パッチワーク調多色セータを着ているのだ(この時イングリッドは青)
あのセータ、正直スゲェ欲しい
そうじゃなくて、帰る時に女の子2人が口にしていたけど、この原色多用はKawaiiのである。
60を過ぎたら、むしろ原色を着た方がいいと母方の祖母は言っていたが、これぞ正しくといった感がある(パンフで清藤秀人のコラムじゃ「赤と青」と描いてるのだが、その隣のページでイングリッドは4枚の写真の内3枚が緑を着ているのだ。青を着ているのはソファが緑の時)
パーソナルカラーが緑の人間としては、ああそうか。見届ける側なのか。と言うある種の達観も感じる。
たぶん、俺は派手に死ねない。

この映画のなにが凄いのかと言われたら、マーサの嘘なのだ。
タイトルが「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」なのに、イングリッドはマーサの下の部屋に泊まる。ドアが閉まっていたらもうこの世にはいないと言っておきながら、マーサは夜ではなく、日中に死ぬ。
バスター・キートンを見たあとに、ジョン・ヒューストンの「ザ・デッド」を見た翌日に死ぬ。
元彼であり今でもイングリッドと仄かにいい関係なデイミアン as ジョン・タトゥーロが、イングリッドと会っている内に死ぬ。
穏やかで、健やかで、上質な死。
母が死んだベッドで娘のミシェルは、横になる。
隣の赤いベッドでマーサは横になって雪を降られる。
ラストシーンのセリフを、パンフのラストページでなぞるのは本当に素晴らしい。
山崎まどかがコラムで書いているとおり、ヴァージニア・ウルフが度々引用されるのは、女性2人の生と死についての隠喩であり、ティルダ・スウィントンとジュリアン・ムーアの象徴なのだろう。

なお、雪の島に生まれ育った人間として、雪が降るほど寒そうに見えなかったのはスペインがロケ地だからのようで、己が鈍ってはいない証明だと信じたい。

広告

BACK

雑感・レヴュ集 メタセコイアBANNER
(C) Copyright Unaru Bacteria,2025
e-mail bacteria@gennari.net