| 作品名 | 記述者 | 記述日 | 星 |
| 嵐が丘 | 唸るバクテリア | 2026/04/17 | ★★★★★ |
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とか考えると、この映画はなにを言わんとしているのかが悩ましくなる。
両思いでも辛いことになるよ。ってのは、まぁ、よくある話ではある。
仕事上、噛み合わなくなったら見事に噛みあわなさが大変なことになってしまったばかりだ。
疲れた。死にたい。
そうじゃなく、噛みあわなさの拡大がテーマとは思えない。「思うとおりにならないこと」がテーマではあろうけど。
うん?待てよ?この映画の中で、一人だけ思うとおりになった人がいるな・・・などと考える。
もちろん、イザベラ・リントン as アリソン・オリバーのことだ。
むむむ。
最初、あまりにオタクのステレオタイプでどうしようかと思ったのだけど、待て。
もしかしたら、ある意味で己の好きを貫ききったら、存外男なんて思い通りになるんだぜ!って解釈もありうる。なにせ、あのわんこプレイの最後の顔は我々変態には突き刺さる。
「 やってるね! 」って気にもなるじゃないか。君は僕たちと同様に変態だったのか!(待て)
そもそもだ、キャサリン・“キャシー”・アーンショウ as マーゴット・ロビーはツンデレなのだ。
「嵐が丘」を出れたはずなのに、出きらずツンデレを貫いたまま死ぬのだ。
ヤだ。ツンデレ好きにはたまらん(馬鹿)
そういう意味では、軒並み登場人物が変態だな。って気もする。
まずは父親アーンショウ as マーティン・クルーンズが、絵に描いたようにわかりやすいぐらいの父権主義者 a.k.a 屑親父である。
死んだ時に泣いてもらえるのは、ただのオッサンの妄想じゃないか!と思う。
キモいぞ。オッサン!!
で、ネリー as ホン・チャウなのだ。あの悪意と嫉妬の塊感にアジア人を配役するのは、ヒースクリフが白人であることより絶妙な気もする(なお、ヒースクリフについてはさえぼー先生に詳しい)んだけど、あの嫉妬はどこから来てるのか?とも考える。
生まれか?それとも、恋愛上のライバルとしての嫌がらせか?いや待てよ。もしかして、実はキャシーのこと好きだったんじゃね?みたいな感慨も抱く。
下人たちは馬具プレイに勤しんでたし、こうなると真人間は寝取られ夫ことエドガー・リントン as シャザト・ラティフだけなのだが、彼だって寝取られていることに気づいたら、ちょっとした狂気に陥るわけで、斯様にして色恋は恐ろしい。
ヒースクリフ as ジェイコブ・エロルディは、たしかにイケメンだけど顎割れだぞ(待て)
で、変態という意味では一番の変態は、もちろん監督のエメラルド・フェネルなのです。
脚本は本人自身で、パンフによると自身が初読時の感想を表現したと言ってるわけだから、エメラルド・フェネルは変態なのだ。その読み方がすでに変態なのである。
ありがとうございます。いい変態です。
変態は変態を見抜く。
でもってさ、スタッフも変態で、全然気づかなかったけど、キャシーの部屋はマーゴット・ロビーの肌をスキャンして壁紙にしてるんだからね。
もう変態ちゃんなんだから!(褒めている)
つまり、結論としてはただの変態映画です。
フェチ映画ではないし、ましてやクィア映画でもないと思うんです。
変態映画なんです。ありがとうございます。好き。
でさ・・・遅すぎますかね・・・(引きずる)
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