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作品名記述者記述日
ヨコハマメリー唸るバクテリア2006/10/26★★★★

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小さな映画館だったので、入り口にすぐパンフレットが平積みされていた。
ピンクのパンフレット。表紙には若干ホラーテイストの少女漫画タッチのイラスト。
え〜、それじゃなんか違う映画じゃね?
と、思った。どちらかというとインディな映画制作会社だし・・・たしかに、「メリーさん」の化粧はホラーテイストだけど・・・

この映画は、たしかに横浜の伊勢佐木町に立っていた娼婦の物語だ。
同時に、この映画は横浜史画である。
なにより、この映画は永登元次郎の物語である。
パンフを読んでいる限りでは、純粋に「メリーさん」を取り上げることを主眼にしていたこの映画が、どうして「永登元次郎」の物語となったか?
1つには間違いなく、そこに人間が存在しているか否かがある。
「メリーさん」が横浜からいなくなった以後からこの映画はスタートしているから、必然、間接的に「メリーさん」を描くことしかできない
その際用いられる最初の手法は、今いる人から、映像だったりコメントだったりを集めることだ。
だが、残念なことにこの手法で集められた情報は断片過ぎて、そのままでは使い物にならない。
だから、編集する。
なにかを編集するとき、もっとも容易にかつしっかり仕上げるのは、なにかのストーリィを用意することだ。
たとえば、根岸屋にまつわる強烈なエピソードや、混血児にまつわるエピソード。そしてなにより、永登元次郎の人生だ。山崎洋子が混血児たちを総称して「メリーさんの子供たち」と呼んだのと同様に。

これらはなにも独立して存在しているわけではない。これらを集約する象徴として「メリーさん」が存在しているのだ。
言い換えれば、もう一人の「メリーさん」が永登元次郎となる。
したがって、2003年4月に特別上映された「Life―白い娼婦メリーさん」は永登元次郎を主人公として構成されたのだ
では、なぜ「Life―白い娼婦メリーさん」が「ヨコハマメリー」と改題され再構成されたのか?
プロデューサや伊勢谷友介や梶原しげるなんかがコメントしてるように、すべてはラストシーンにある。
ラストシーンこそ、この映画が「ヨコハマメリー」と名乗る資格である。

戦争が苛烈で悲惨で不幸しか招かないとしても、ラストシーンのメリーさんはとても美しい。
きっと、彼女はとびきりの恋をしたのだろう。
すべては愚かな戦争のせいだ。
しかし、そのおかげで出来たこの映画はとても良い映画だと思う。

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