雑感・レヴュ集
メタセコイア
音楽
ミュージシャン | 記述者 | 記述日 |
ZARD | 良田 | 2007/05/29 |
今日はとりあえず授業あったんで、学校行った。
すると今日授業無いはずの友人が学校来たんだよ。
家に居たくなかったんだって。
24歳の彼は、後で言うかもしれないけどいわゆるビーイング系をまた聞いてみようと俺に思わせてくれた男だ。
そりゃあ、俺より何倍もショックだろう。
で、話題は当然そればっかりになるんだけどもう一人の友人も一気にテンションダウンしてしまった。
そいつは俺の3つ下。
そう、ZARDといえば俺の3つ上〜3つ下くらいまでは一度は通った、とまで言わなくても絶対に数曲耳にしたことがあるはずだ。
たとえサビだけでも。たとえ嫌いでも。
テレビよく見てた奴なら特に。
そのくらい生活に入り込んでた音楽なんだ。少なくとも俺にとっては。
前、イエモン解散とかの時にも喋った気するけど俺がCD買って音楽聞こうと思うようになったのは丁度小6の終わり〜中1頭くらい。
そのちょっと前くらいから、女子は結構音楽聞く奴出てきてたし皆ヒット曲くらいは知ってる感じだった。
んで、当然話題に出てくるのを聞こうって思った。
当時。
Dreams Come Trueは前年に「決戦は金曜日」「晴れたらいいね」を、
CHAGE&ASKAは「YAH YAH YAH」をヒットさせてた。
そしてB'zは「愛のままに〜」「裸足の女神」を、WANDSは「時の扉」「恋せよ乙女」を、
大黒摩季は「チョット」「別れましょう私から〜」を、そしてZARDは「負けないで」「揺れる想い」をリリースした、そんな年。
CDは聞いてなくても、テレビ見てればCMやアニメの曲が耳に入ってくる。
初めて買ったシングルがスラムダンクのエンディングのあの曲だった。
そこから始まって、ビーイング系のCDをいろいろ漁ってみた。
もちろん、当時はビーイングだ何だなんて意識もくそもしてないわけだが。
で、Mステとかもちょこちょこ見るようになる。
そこで初めて「ZARDの曲」として耳にしたのは「この愛に泳ぎ疲れても」だった。
で、後ほど、ポカリスエットのCMで使われてたあの曲が
ZARDの曲だってことを知る。
それが「揺れる想い」。
本やらランキングやらで顔がチラチラと写るんだが、とにかくキレイな人だと思った覚えがある。
んで、中1の当時はとにかくCDをいろいろ買ってたわけ。
その中の1枚が「OH MY LOVE」
やっぱりCMか何かで聞いたことあった曲が3曲目に入ってたな。
今思えば、歌詞カードあんなボロボロになるまで聞いてたのはあの頃だけだったと思う。
んで、ZARDファンの女子に「ZARDは1人じゃないよ、バンドだよ」と聞かされびびったり(詳しくはウィキ参照)
Mステの過去映像見て「テレビ出てたのか!」とびびったり「なぜアルバムにDEENの曲が?」とびびったりしつつZARD知識みたいなもんも増えてきた。
でも、はっきり言ってしまうと一番好きなアーティストではなかった。
B'zや、少し後に出会うことになるMr.Childrenが、俺の中では一番という感じだった。
ぶっちゃけ、リアルもてない厨房だった俺はラブソングラブソングした感じの曲が嫌いだったんだ。
今思えばひがみにもほどがある。恥ずかしい。
だから小沢健二も嫌いだったんだよね、当時は。
でもZARDは、1年経っても2年経っても何か気になる存在で気に入ったシングルがあれば購入してた。
「こんなにそばに居るのに」とか「マイ フレンド」とか。
特に「マイ フレンド」はスラダンEDってのもあって「来た!」って感じしたなあ。
高校上がるころだったと思うけど、ZARDがベスト盤を出したんだ。「SUN&STONE」てやつ。
それが、俺が最後に買ったZARDのCDだった。
高校上がると、微妙に嗜好が変わった。
スピッツ、THE YELLOW MONKEY、GLAYなどが次々売れ出して何となくそっち方面に行くようになった。
で、CDTVとかをビデオ録って(起きてられんかったので)チェックするようになって、ZARDはランキングでサビだけ聞く程度で、新曲出ても「あ、出したんだ」という感じになってた。
そう、結局当時の俺は流行りもんに飛びつくだけだったんだろう。
にもかかわらず、ラルクが同時リリースすると文句言ったり。
ひどいもんです。
でも、船で初ライブやった時はさすがに驚いたけど。
んで高3からは、知ってる人は知ってるだろうけど完全にロッキング・オン信者になる。
そうなると、昔聞いてたもんを恥ずかしいとかかっこ悪いとか思うようになったりしたわけ。
どうみても厨二病です。
で、ビーイング勢も売上がだんだん落ちてきたりバンドがどんどん解散したりで耳にする機会も少なくなっていった。
でも、今思えば他がどんどん解散したり移籍したりする中ZARDだけはずっとビーイングに残り続けてたんだ。
で、去年。
先ほど言った友人に出会い、色々な話を聞いた。
本当に、色々な話を聞いた。
ビーイングという会社についても。
詳しくはここでは言わない。
でも、俺の中で大きく揺らぐものがあった。
聞いてみなきゃわからないとか何でも聞くとか口で言いつつ、どうしようもなく大きな偏見があったってことも気付かされた。
全部とっぱらって、もう一度聞いてみよう。
そして、B'zやWANDSの大ファンである彼のお勧めやら懐かしさなどもあって、そのあたりをもう一度振り返ってたのが、ここ1年くらい。
そして、昨日。
・・・
思い返してみれば、中学時代ってまだ自分で自分の好みみたいのがはっきりしてなかったのもあるし、何と言うか、マンガもアニメもドラマもゲームも音楽も全部自分の中で同じくらいの位置を占めてた。
そっからいつしか音楽だけがアホみたいな割合を占めるようになった。
好きなアーティストの死といったら、俺はここ数年で何度も経験してきた。
KEMURIの森村亮介。
ギターウルフのビリー。
DMBQのチャイナさん。
ショックだった。
でも、今回はそのショックとは違う。
アーティストってだけじゃなく、有名人が亡くなって、こんな気持ちになったのは生まれて初めてだと思う。
単に「今までで一番悲しい」ってわけじゃない。
ZARDは、一番好きなアーティストではなかったにも関わらずいつも俺のそばにあった。
ポカリのCM。
スラムダンク。
ミュージックステーションのランキング。
常盤貴子か誰かのドラマ。
もっと言えば、ドラゴンボールも。
キレイなお姉さん的な意味合いでもね。
そして、友人との繋がりとしても。
全てが交差する場所に、ZARDが、坂井泉水がいた。
彼女がいなくなってしまうってことは、全てが一部分ずつ欠けてしまうってことなんだ。
今は、中古で買い直したアルバムをパソコンにぶちこんで聞いてます。
多分、こんなにZARDを聞いたのは10年ぶりくらいだろうなあ。
ZARD 坂井泉水さんへ
ありがとうございました。
R.I.P.
本日のBGM:ZARD「きっと忘れない」