今回の日記について・・・
私自身、事実を聞いたわけでも見たわけでもありません。
“あくまでも噂・憶測、もっと言えば妄想にすぎません”
業界の人間でも何でもありませんし、裏でどういうルールがあるのかは分かりません。
真相は内部の人間にしかわからないでしょう。
しかし、数年前からそっち方面の方々・ネット等で散々言われていることであり
一部では「周知の事実」とさえされていることも中にはあります。
(あくまで「されている」だけであり、事実かどうかはわかりません)
今回の一件をいい機会とし、私が今まで「噂で」聞いたこと・見てきたことを
覚えている限り綴っていきたいと思います。
読みたくない方はスルーしてください。
非常に長いです。
「RISING SUN ROCK FESTIVALとROCK IN JAPAN」
●はじまり
1997年、日高正博を代表とするイベンターSMASHが
富士天神山にて日本初の本格的なロックフェス
「FUJI ROCK FESTIVAL」を開催。
初年度は台風直撃で散々な状態だったものの、
開催地を変更しながら以降毎年開催、現在に至る。
「本格的な『邦楽フェス』をできないだろうか」
99年(発案はもっと前だろうが)、
邦楽アーティストのみでの大規模なロックフェスの開催が企画される。
企画に携わったメンバーは
BLANKEY JET CITYマネージャー藤井氏、
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTマネージャー能野氏、
WESS、ロッキング・オンであるとされている。
※ちなみに会場に2001年頃まで設置されていた「NO YOUNG NO CRY」テント
(通称ノーヤンテント)は、能野氏のニックネーム(能やん)をもじったものとされている。
ウエスはそれ以前、毎年夏に
「北海道ロックサーキット」というイベントを開催しており、
BJC・TMGEとの繋がりはその頃からあったのではないかと思われる。
ともかく、ウエス主催・ロッキング・オン後援というような形で
RISING SUN ROCK FESTIVAL(以下RSR)は開催された。
動員は26000人。天気にも恵まれ、大成功を収める。
私は当時高校生であり、このレポートが掲載された「ROCKIN' ON JAPAN」99年10月号の
浅井健一・チバユウスケ・UAの3ショットを見てわくわくしたものである。
●亀裂
翌年の2000年。
ロッキング・オン社がとある発表をした。
茨城県ひたちなか市における自社主催のフェス
「ROCK IN JAPAN」(以下RIJ)の開催である。
前年のノウハウを生かし、独自でのフェス開催。
そしてロッキング・オンはRSRのスポンサーを撤退。
両者間でいかなる取り決めがあったかは分からないが、
このことにBJC・TMGEサイドが激怒したという話もあるとかないとか。
もっとも、浅井健一率いるSHERBETS・AJICOは同年のRIJに出演しているので
どういう状況だったのかは分からない。
いずれにせよ少なからず何らかのトラブルはあったものと思われる。
結果、2000年のRSRは大々的な宣伝ができず、
ロッキング・オンと繋がりの深いアーティストの出演も限られ、
さらにメインアクトの一組でもあったTHE YELLOW MONKEYの出演キャンセルなども少なからず影響し
動員数は13000人と前年の半数、翌年開催が危ぶまれることとなった。
この年、ROCKIN' ON JAPAN誌上でのRSR特集は5〜6P程度(前年は20〜30Pほどであったはず)、
こき下ろすような内容ではなかったと思われるが、今でも覚えている言葉がある。
「でもさー一番盛り上がったのが電撃ネットワークなんだよ。それって何か悲しくない?」
発言者は失念。
余談であるが、イエモン吉井和哉は渋谷陽一と現在まで蜜月関係にある。
そしてイエモンは8月第1週のRIJに出演、その後RSRキャンセルが決定している。
また同年、ROCKIN' ON JAPAN編集長が山崎洋一郎から鹿野淳に変わる。
奇しくも鹿野就任後最初の特集は
「BLANKEY JET CITY解散」のインタビューであった。
●ロッキング・オン・ジャパン―その姿勢
鹿野体制となって以降、JAPAN誌は
浜崎あゆみや宇多田ヒカルが表紙になったり、空気が少しずつ以前と違うものとなる。
この鹿野淳、もともと邦楽にはさほど詳しくないらしく
移転先もCUT(ロッキング・オン社発行のサブカル誌)を希望していたとかいないとか。
現在はロッキング・オンを退社、FACTの代表として音楽雑誌「MUSICA」を刊行したりしている。
今年発行予定のRSRメモリアルブックは、彼の監修である。
ご存知の方も多いだろうが、彼と因縁の深いバンドがいる。
the pillowsだ。
彼らのライブレポート?を鹿野がJAPAN誌上で書いたことがあるのだが
「ライブでは最前列にルックス目当てのファンが集まり〜」
「ファンを含め程度が低い、ちまちまするな」などと綴る。
これに山中さわおが「俺たちはともかく、ファンを馬鹿にするのは許せない」と激怒、
以降the pillowsはJAPAN誌上にほとんど登場していない。
一度「ロックフェス特集」といった企画で
山中さわお・吉村秀樹(bloodthirsty butchers)・クハラカズユキ(The Birthday他)の3人で
RSR対談として登場したことがあったが、どんな経緯があったのかは不明。
ちなみに第一声は「増子さん(怒髪天)いらっしゃいませんね(笑)」であったw。
ロッキング・オンがインタビューやレビューについてアーティストと揉めることは
決して珍しいことではない。
その多くは「こんなこと言ってない」とアーティストサイドから抗議が来たり
レビューするから音源を送ってくれと言いつつ誌上で酷評、といった類のもののようだ。
私が覚えているだけでも、BRAHMANやサンボマスターが発言捏造を抗議、
くるりがディスクレビューに抗議したことがある。
特に後者は、当のレビューを書いた山崎洋一郎が逆ギレし
Dragon Ashの新譜「Lily of da Valley」レビューにて
暗にくるり・NUMBER GIRLのアルバムを貶める発言をし、問題となった。
もっとも2〜3年前にくるり岸田がJAPAN誌上で山崎のインタビューを受けていたことから、
現在どのような関係かは不明。
ちなみに、ロッキング・オンは誌面に広告を打たなければ取材をしない、という体制をとっている。
悪い言い方をすれば「広告代出さなければ取材で取り上げない」ということだろう。
取材のギャラもゼロとのこと。
(LA-P○ISCHのM○GUMIの某所での発言らしいが、信憑性は微妙なところである)
それでもインタビューを受けるアーティストは後を絶たない。
強い影響力を持つJAPANで特集されれば間違いなく宣伝効果は高いからである。
さて、そのような捏造の憂き目にあったアーティストはまだいる。
それが浅井健一である。
UAらとのユニット・AJICOのインタビューにてUAの発言が本来のものと違う形で掲載、
これにAJICOサイドが抗議。
前年からのトラブル、さらにBJCをプッシュしていた山崎洋一郎の退任などもあり
両者の溝は徐々に深まっていく。
●崩壊
2002年、「あの事件」が起こる。
詳細はWikipedia浅井健一・ロッキング・オンとの確執の項を参照されたい。
web当時我々は、JAPAN誌上での兵庫慎司
(当時編集長/JAPANはこの時期月2回刊行、2人の編集長体制を取っていた)
の文章でこれを知ることとなる。
兵庫の文章のみを見れば、100%浅井側に非がある。
ディスクレビューで酷評されたくらいで何て奴だ、といった所だろう。
しかし、ここまで書いてきたことが仮に事実ならば
その伏線はディスクレビューではなく、もっと以前からあったと言ってよい。
私的には暴行自体を容認するわけではないが、情状酌量の余地はあると思っている。
ちなみに兵庫の文章には、主に事件についてのみ書かれており
それまでの浅井との関係は「近年疎遠になっていた」と述べるに留まっている。
これ以来、浅井健一はロッキング・オンと完全に決裂。
何か感じはしないだろうか。
そう、今回の渋谷の発言と全く同じ流れなのだ。
●フェス―その裏にあるものは何か
現在、夏が近づくと雑誌などで「フェス特集」が組まれる。
主に取り上げられるのは「3大フェス」
FUJI ROCK FESTIVAL、SUMMER SONIC、そしてROCK IN JAPANである。
RIJがここまで大きく成長したのには、
出演者の豪華さ・首都圏に近いという地の利など様々な要因があるだろう。
だが何よりも「宣伝効果」が大きいと言えよう。
自誌のみならず、各方面において大きな広告を打ち
「邦楽最大ロックフェス」と呼ばれるに至ったのは
逆説的に「それほどの広告を打つ資金力があった」からに他ならない。
ロッキング・オン社そのものに金がなくとも、バックには大きなスポンサーがついている。
考えてみてほしい。
平井堅・絢香・DJ OZMA・・・
腐ってもかつての硬派(笑)ロック誌、いくら集客のためとはいえ
「ロッキング・オン社の一存で」そのような売れっ子(笑)をホイホイ出演させるだろうか?
これ以上は私にはわからない。
しかし、業界には何らかの大きな力を持つ者が確実にいて、
それが「フェスは商売になる」と目をつけ、
資金提供の代わりに自社のアーティストを宣伝のため出演させている。
多かれ少なかれ、そうしたことが行われていることは間違いないはずだ。
そう、フェス出演は(特にメジャーレーベル所属のアーティストは)
アーティスト自身の意向などほとんど無いに等しいのである。
だからこそ「RSRよりRIJを選んだのか、裏切り者!」などと思っては決してならない。
決定しているのは彼ら自身ではないのだから。
もうひとつ。
今回ウエスは囲い込みを行った、と非難されている。
またRSRは基本的にウエスからのオファーが無ければ出られない、とされている。
エレファントカシマシ・GRAPEVINE・AIR・KEN YOKOYAMA・・・
彼らは近年まで、RIJや他フェスの出演はあるものの
RSRに全く出演しなかった。
また100s・YUKI・TRICERATOPSなど未だ出演していないアーティストも数多い。
リクエストが決して少なくなく、
またフェスのスタンスとさほどずれているとも思えない彼らが
RSRに出演しない理由は何なのか?
単にウエスと不仲なのか?そうではないはず。
現に北海道でのライブの際にはウエスがイベンターを担当しているにも関わらず、
RSRに出演経験が無い場合もある。
次の言葉は、私の完全な妄想である(これまでもだろって?すいませんw)。
「レビューも書いてやるし、フェスにも出させてやる。インタビューもしてあげる。
おたくにはいい宣伝になるでしょう?その代わり向こうには出ないでね」
本当に囲い込みを行ったのは誰ですか?
上記のアーティストが、なぜ近年出演解禁になったのかは正直わからない。
何らかの取り決めがあったのかもしれない。
●おわりに
今年、RSRがあのような条件を出した上でも
あれほどのラインナップが揃った。
インディーズバンドなど、アーティスト自身の意向も少なからずあるだろうが
あれは言うなればそれぞれの所属会社が
「RSRに出させたほうがよい」と判断した結果ともいえる。
旧TMGE勢・THE日本脳炎・DOES(rockin' blues)
KEN YOKOYAMA・COMEBACK MY DAUGHTERS・ASPARAGUS(PIZZA OF DEATH)
the pillows・怒髪天・JUN SKY WALKER(S)・BUGY CRAXONE(BAD MUSIC)
Mr.Children・レミオロメン(烏龍舎)、元ちとせ(オフィスオーガスタ)、BEAT CRUSADERS(DefSTAR)
上記の会社からは、今年RIJへ出演しているアーティストがいない。
そして、奥田民生の所属するHit&RunからはRSRに1組も出演していない。
また、これまた信憑性が疑われるが
小○武史(烏○舎代表)がアミューズ・オーガスタ等音制連(音楽制作者連盟)の大手事務所に
「今年はRIJに出演しない方がよい」と吹聴しているとの噂がある。
もう率直に言おう。
ウエスが突きつけた条件は事実である。
その上で、多くの音楽事務所がRSRを選んだ。
渋谷は愕然とし、意図的にあのタイミング(RIJ出演アーティストが全て発表後)で
謝罪まで含めあの発言をした。
理由は何か。
「RISING SUN ROCK FESTIVALを潰し、邦楽No.1フェスの称号を得るため」である。
ウエスの方針が正しかったかどうかは一概には言えない。
ここまで述べてきたことも「あくまで憶測にすぎない」
あるいは、もっと裏に黒いものが渦巻いているやも知れない。
だが、これだけははっきり言う。
私はEZO ROCKERである。
今年もRSRに参加する。
そして、ロッキング・オンという会社が今回したことを決して忘れない。
本日のBGM:the pillows「No Substance」