「彼本人が『本当のところは』何を考えているかを
考え出すと津軽弁とは切り離せなくなり、
津軽弁になるとどうしてもブラックボックスに入るから
なんだか理由のわからない魅力=心に訴えるのよ!とみなすしかなくなる」
みたいなところもあるんじゃないかね。
奈良美智本人のブログも公開されてるから実際はそんなことないんだろうけど
だけども津軽弁に入り込むことの縄文的ブラックボックス感覚は
「ぁたしってば心の闇をかかえてるさびしぃ人だし…」な人の
その人が自身の闇とみなす「薄っぺらな闇の部分」に抵触するんだと思うよ。
ある一定の人が思春期になると
太宰治の文章によって「薄っぺらな闇の部分」を逆撫でされるのと
それは近いんじゃないですか。
つまり津軽弁はずるいよ。縄文だもの!
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