巻頭言
手を替え品を替え、同じことを繰り返します。記憶は反復して作られます。
物語は読まれるため、語られるためにあるとアタシは考えます。つまり、物語は書かれるためには存在しないと。「語られるのではなく、語るために存在しうるか?」は思考価値がありそうですが、以下の議論で、主体か否かはさほど重要ではないので、したい人はどうぞ。
この考えに従えば、アタシのために書かれた「超短編のパトロン」の超短編は「物語である」と定義できるでしょう。
もしかしたら「超短編」=「物語」という定義、もしくは図式に、微妙な違和感を覚える人もいるかもしれません。
定義がひとつでなければならないのは、わかりやすさにとっては重要ですが、定義が目的と化した頭でっかちを生む現実が、しばしば残されます。もしも、先ほどの違和感を、「多重な意味を解釈に応じて表出するのが超短編である」とでも言い換えられるのであれば、超短編がひとつの定義に留まるはずがないと、心のどこかで理解しているはずです。
「500文字以内の文章作品」 (500文字の心臓 > サイトについて)
「500文字以内で書かれた小さな物語」 (超短編マッチ箱)
という定義がベースレイヤとして存在していれば、その上にどんなレイヤを重ねても良いはずなのです。だって、50000文字を越えていても、超短編として読める文章があるというのは、超短編の実験の一成果でしょ?
翻って、読まれるためにあるはずの物語が読まれないことは、物語を殺すことになります。アタシは、アタシの書いた超短編もアタシのために書かれた物語も殺したくないと考えます。なので、お金を払ってでも読まれたいと志向します。 多様な定義で書かれることと、多彩な解釈で読まれることは、同じくらい物語を、超短編を豊かにすると考えます。賢い言葉で言えば「ミームの拡散」にでもなるでしょうが、軒並み使う人たちに実感が無いので嫌いになりました。
アタシのために書かれた豊かな物語が、さらに実りあるものになると良いです。何度も何人にも読まれると良いです。
そのためのコストはアタシが払います。だから、パトロンです。
なお、掲載は受信順です。
応答しなさい riddle・prince・story(松浦上総リミックス)
作品
この車の助手席に座るのはこれで最後。そう思うと涙が出そうになる。でも、もうすこしガマンしよう。彼の口から別れ話が出るまで。
海沿いの国道を走る車の中には、陽気な音楽が流れている。哀しい気分のときに、明るい音楽はつらすぎる。そんなこと気づきもしなかった、今までは。
季節外れの海岸には人影は無い。向かい風がつめたいけれど、隣を歩く彼は肩も抱いてくれない。テトラポッドの近くでふいに立ち止まり、一冊の文庫本をコートのポケットから取り出した。
「これを君に返そうと思って」
私がいつかプレゼントした本。「星の王子様」私がいちばん大好きな本。彼にも持っていてほしくて、プレゼントした。それを私に返すのだと云う。私は本を砂浜に叩きつけた。
バスで帰るから一人にしてと云うと、彼は、背中を向けて歩き出した。さようなら、私の王子様。足元の本を拾い上げると、何かがはさんである。夏に、二人でこの海岸で写した写真だ。「これは、ぼくが一番大好きで、一番かなしい場面です。」と書かれてあるページに。私は、いやな予感がして、彼の携帯を鳴らす。呼び出し音は聴こえるから、電源は入っているみたいだ。今ならまだ間に合うかもしれない。私は、ヒールを脱ぎ捨てて、砂浜の上を駆け出した。
コメント
金200円
2段落目から3段落目で、時間がジャンプしていて、一読目躓いてしまいました。
それはともかく、今、手元に「星の王子様」が無くて、買うのも立ち読みすることもできなかったので、なんともなのだけれど、個人的にはこんなこと仕掛けてくる男、趣味が悪くて好かないですよ。ええ。
ってそうじゃないや。ずっと考えてたのだけれど、「彼」は死なないだろうけれど、たぶん、「私」がどんなに追いかけても会ってはくれないんじゃないかなぁ。そしてきっと。
バスは来ない。
応答しなさい(koroリミックス)
作品
柔らかい日差しが砂浜を照らす。僕たちは、そこに思い出を刻むように歩いた。でも、少し前の足跡はもう消えているに違いない。
前を歩いている僕が振り返る。彼女は眩しそうに手を翳しながら微笑んだ。
「夏が終わったら君はどうなってしまうの?」
僕の問いに水色のワンピースから覗く華奢な白い足が止まった。真剣な眼差しの僕に彼女は落ち着いた様子で「秋の風が吹いたら消えてしまうだけ」と長い睫毛を伏せ答えた。
「消えてしまう?」
僕の質問に彼女は首を振る。
「わからない、私にもわからないの。でも、もうすぐだわ。きっと」
その瞬間、僕たちを包むように優しい潮風が吹いた。それは、あの真夏の重たい空気を含んだ生温い風ではなく少しだけ冷たい気持ちのよいものであった。
僕は、咄嗟に彼女の掌を掴む。彼女は足の先から少しづつ消え始めていた。
「そこまで来ていたのね」
彼女は一瞬だけ泣きそうな表情を見せたが、僕と目が合うなり、とびきりの笑顔に変わった。それは、僕が見た中でいちばん綺麗な彼女だった。
「行くな! 秋が来たってずっと僕と一緒にいればいい。夏だけじゃない、春も秋も冬も君が知らない季節には素敵なことがいっぱいあるんだ!」
僕の声は波にさらわれて行く。彼女の温かい掌も、小ぶりな胸も、桜貝のような淡い色の唇も、澄みきった夏空のような瞳も、涼しげな笑い声もすべてがサラサラと砂になって零れ落ちていく。
彼女がいた場所には、他に紛れることのない白くきらきらした小さな砂山だけが残された。
コメント
金100円
何故だか海ネタが続いたり。
なんだろ? すんごい肌にべとつく感じで気持ち悪い話。リミックスだからお金を出すけど、そうじゃなかったら掲載は見送っていたところ。
台詞だけじゃなくて、ガジェットの描き方に到るまで生理的にあいません。そのタイミングで、そこの描写ってことは、つまり、もしかしたらある種のリアリティとして正しいかも知れないけれど、それならみっともない格好つけ方なんてして欲しくないところ。
切実だとして、この切実さはアタシには饒舌すぎる。
連続点(自由部門) 作者:氷砂糖
作品
昨日のわたしはわたしではない。そう言ったわたしも既にわたしではない。わたしは瞬間に点として存在し、(1/∞)の間隔を空けて観測された軌跡としてある。A点のわたしはB点のわたしとは別人であるが、その影響を受けないわけではない。なにしろ外から観測する分にはわたしという線なのだ。AがBに対して過去である場合、B点のわたしはA点のわたしを考慮して決定される。しかしそれでもA点のわたしとB点のわたしは別人である。ヒトが学習し続け成長し続けるなどと愚かなことを考える者がまだ多いようである。過去に受けた刺激を1点のわたしが全て覚えているかと言えば、答えはノーだ。過去を考慮はするが、今という1点のわたしが放つ言葉は今のわたしに纏めることができた汚物である。1日前の言葉は似ているかもしれないが、5年前、10年前の言葉は、たとえ言葉自体が同じであってもわたしの物ではない。それでも出てくる同じ言葉は、それが各点のわたしが繰り返し受け続けている刺激による表現形であることを示す。だからわたしはあなたに対して汚物を投げる。
「ねぇ、甘えさせて」
放った次の瞬間、わたしはわたしではない。
コメント
金3,000円
文句なしに、今までパトロンやってきて一番の傑作。アタシにもうちょっと度胸があれば、5,000円超える金額を出すんだと思うけど、ヘタレでごめんなさい。
一読目は
> 「ねぇ、甘えさせて」
が、ちょっとユルいかなぁと思ったのだけれど、何度も読み直す中で、これぐらいの落としどころが、睦言のリアリティみたいなところが揺らいで良い感じ。
黙読だと、もしかしたら前半が長く感じるかもしれないけれど、実は声に出したい物語。どれだけ
> 「ねぇ、甘えさせて」
を雰囲気持たせ読めるかがポイント。
計画性(自由部門) 作者:氷砂糖
作品
事前に計画を立て、考証に考証を重ねて一日を過ごす。計画から逸れないように行動する。神経質と言われるかもしれない。
親不孝をしないようにしたい。そのためには騒ぎを起こさないようにしなければならない。そのためには面倒事には関わらないようにしなければならない。そのためには無難な生活を送らなければならない。そのためには就職しなければならない。そのためにはいい大学に行かなければならない。そのためには優秀でなければならない。そのためには日々勉学に励まなければならない。そのためには気持ちよく眠らなければならない。そのためには適度な運動を行わなければならない。そのためにはおっぱいをよく飲まなければならない。そのためには健康に生まれなければならない。そのためには細胞分裂をさぼってはいけない。千里の道も一歩から。
怠け者の自分にどこまで出来るかわからないけれど、精一杯。お父さんとお母さんの子供として生まれるために。
コメント
金2,000円
「連続点」がなかったらもうすこし景気が良かったかもしれないけれど、送信時間からするとムニャムニャムニャ。
さりげないジャンプが時折入っていて、油断して読んでいるとジャンプに気づかないんだけど、その巧みさも含めて、よくできたお話。
そう。たぶんきっと、誰も不幸になるためには生まれてこないし、計画性なんて無い人生を送ってるけど、生まれてきて良かったと思ってますよ。
金魚すくい(自由部門) 作者:松浦上総
コメント
「わたし」と「私」で表記が揺れているのだけれど、これがなにか意図があるのか無いのか読み取れず。
後半、無理矢理金魚の話になったのが違和感あるというか、結局、金魚すくえずに貰ってるあたりに彼のヘタレっぷりに目を瞑ってるのが愛かなとは思うけど、ちょっと「わたし」にとって都合が良すぎるかなぁとは。
「八幡様」って言い回しが、ローカルのパッとした神様が居ない田舎に生まれ育った人間にとって、ちょっと楽しい。
応答しなさい~“We'll never forget”remix(はやみかつとしリミックス)
作品
…県民ノ実情ニ関シテ……ハ既ニ通信力ナク……代ツテ緊急御通知申上……《…深く世界の大勢と…》……青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧……《…非常の措置を以て時局を収拾せん…》……砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ……《…東亜の開放に協力せる諸盟邦に對し遺憾の…》……輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動……《…殉じ、非命に斃れたる者、及其の遺族に想を致せば五内…》……終始一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ……《…今後帝國の受くべき苦難は固より尋常にあらず…》……只管日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ……《…難きを堪え、忍び難きを…》……一木一草焦土……糧食六月一杯ヲ支フル……《…萬世の為に大平を開かんと…》……斯ク戦ヘリ。
……
《…ここに國體を護持し得…》
……後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
コメント
金2,000円
今回のサンプル作品で一番のフックと仕掛けたのを、よもや玉音放送と沖縄戦で仕立て上げてくるとは!
もちろん、これが超短編か? っていう疑問はつきまとい得るけれど、いやいや、リミックスという概念からすればむしろ王道と呼んでもいいかもしれないぐらい、まさかの物語。
不謹慎だと叫ぶ右曲がりのダンディがいるかもしれないけれど、どっちが不謹慎なの?
むしろ、超短編だからこの枠に押し込めて、この切実さを持った物語に仕立て上げられるのだと思う。
忘れないよ。忘れるわけない。