巻頭言
「価値観の多様化」なんて安いフレーズがあります。このフレーズの本質は、「価値観はひとつ、あるいは少数である」という前提にあります。つまり、「価値観」というものがある程度のところで収束するという先入観に対し、対抗観念が何倍も生じた・存在したから、想像力の無さの言い訳に「価値観の多様化」を口にするわけです。
呼応するかのように、「十人十色」と言われなくなりました。
視座の違いです。もしくは、自分たちの言説を流布したいために、既存の概念を無かったものとするわけです。保守的だなぁと、アタシは考えます。自分の考えのために、なにかを否定するのは保守的です。そして、アタシ自身の保守性を否定する気はありません。
さて、「超短編のパトロン」は今回でおしまいです。川崎さん a.k.a. 大鴨居ひよこさんと「超短編の世界3」出版記念パーティの席で話した、「超短編を1作何万円で売れるようにしたい」という理想論に対して、結果的に超短編を1作10万円で買ってもらった人間が応えようとはじめたのが「超短編のパトロン」でした。
正直、1年もたなかったことに、「つまらないヤツらばかりだなぁ」と賢しい人を貶したい気持ちもありますが、書きたくなるぐらいの評が書けていないアタシが悪いのです。大盤振る舞いにお金を出せないのが悪いのです。
場所がひとつ無くなることは、ひとつの価値体系が失われることと同義です。
無くなったことによる影響は後々浮上するものなのでアタシは関知しませんが、膠着した、固定化した価値観をアタシは嫌悪しますので、きっと、耐えきれなくなったら、アタシはなにかするのでしょう。
いつまでもアタシに、挑む勇気がありますように。
短い間でしたがお付き合いありがとうございました。
なお、掲載は受信順です。
ハジマリのうた(氷砂糖リミックス)
コメント
> 利き手でざっと払いました。
になんだか違和感があって、ここであえて「利き手」と書いた意味はなんだろう?
わりと醒めた目線の一人称で書かれた物語だから、描写として埋まっていること自体に違和感は無い。しかし、「わたくし」はこの瞬間取り乱し、正気ではなかったのだ。指を傷つけたのは欠片を拾う時で、当然、払った時ではない。したがって、振り返った時に思い出したのだ。利き手と。
想像する。
アタシが仮に芝居をつけるなら、右利きだから、右手で払うだろう。しかし、正気ない時に片手しか使わないだろうか? 両手で薙ぎ払うような芝居のがより相応しいのではないか?
ここでハタと振り出しに戻る。
なぜ「右手」でも「左手」でもなく「利き手」なのだろうか?
強引に仮説を立て、結論付けるなら、「わたくし」は今だ正気ではないのだ。取り乱しゴーズオン。左右の観念が消失してしまっているため、右手で払ったのか左手で払ったのかを言語化できない。わからない。ただわかるのは、払った手は「箸を持つ手」だということ。「箸を持つ手」をカッコよく言い換えるなら・・・利き手!
水仙のある部屋(自由部門) 作者:氷砂糖
作品
愛することはできません。私は誰よりも私自身を愛しているから。好意を寄せていることを言葉で示して欲しいのなら、何度でも「好き」と口に出すことはできます。けれど「愛している」とは間違っても言えません。好きだけれど愛することはできません。
あなたとキスをするのは、あなたの唇に触れている私の唇を確認したいから。あなたの目を覗き込むのは、その目に映る私の目を見たいから。あなたと手を繋ぐのは、そのときの私の手の形が愛おしいから。私の作る料理に賞賛が欲しくてあなたに料理を振舞います。大事な私自身を守ってもらうためにあなたの横で眠ります。もろもろのお礼を込めて時々セックスに応じます。セックスしているときの私の声はとても好きです。
愛することはできません。愛することはできません。誰よりも自分が可愛くて、守られ怯える私自身だけを愛しているから、あなたを愛することはできません。離れてください。離れていってください。あなたを失うことで大きく傷つくのは嫌です。私は一人で傷を舐めていたいのです。あなたを愛することはできません。私は私以外、誰一人として愛するつもりはないのです。
コメント
金800円
「愛」が「哀」から来ているってのが嘘だとして、「愛してる」って言えないのは可哀想だよね。きっと。「可哀想」って嫌いな単語だけど。もちろん、ここで語られるのは言語化あるいは日本語化だけだから、行為で「愛してる」と言うことは、なんら否定されない。
だから、主人公が重ねる言葉はツンデレ的な恐怖感に満ちている。
オッサン向け大衆紙やオシャレ女性誌が「セックスからはじまる恋」の見出しを踊らせるのはまんざら嘘じゃなくて、技はともかく、心と体はそれなりに連動するものなのだ。だから、愛してしまう可能性が0じゃないと気づいてしまったので怖いのだ。
こういう不自由で真面目な娘はねぇ。器用ささえあれば、ステレオタイプな幸せを享受できるのにねぇ。人生ままならないよねぇ。生きるって難しい。いい娘だよ。君はいい娘だよ。よしよし。
ハジマリのうた ~re-birth mix(はやみかつとしリミックス)
作品
仕事を辞めた。
といっても次の仕事は決まってたから、あんなとこ我慢ならないから辞めてやったなんて言っても「なんだかんだ手堅くやってんじゃん、カッコつけんなよ」ってからかわれておしまい。でもね。
前の職場から一歩踏み出したときの、空の青さったらなかったよ。それから顔を洗う風の心地よさ、空気の美味しさ。こんな街中で車もガンガン走ってるのにね。
今、解放されたんだ、自由なんだ…って思ったことはそれまで一度もなくて、そんなふうに感じる瞬間なんか一生来ないんだ、と思ってたからそれは虚をつかれた感じで、こころもち体が宙に浮いたような気分だった。地上5センチの宙を歩く、パオラの聖フランチェスコ。1ヶ月後にはまた似たような日常に埋もれるんだなんてことは、わかっていても、その瞬間そんなことはこの世に存在していない。空前絶後の時間。
この一瞬を生きた、と思ったら、大げさなようだけど、何もこわくなくなった。この青空をいつだって取り戻せると思えば、この空はいつだって青い。たとえ毎日どんよりとくすんだ雲が垂れ込めていてもね。
じゃ、また明日。
コメント
金1,200円
元ネタが展開に対して、結構衝動的な着地をしたのに対し、まっとうに積み上げられたリミックス。
SHAKKAZOMBIEに「空を取り戻した日」という名曲があって、いつかこのタイトルで書いてやろうと温めてるんだけど、読み返す内に頭の中で流れはじめました。
まぁ、物語のトーンとはちっともあってないんだけど。
実は、タイトルが「TOP OF TOKYO/TT2 オワリのうた」からの連想なので、まぁ、オワリとするにはいい着地でしたね。
誰か物語と曲を接合して、映像化してくれないかなぁ。お金なら出すから。
初出時、掲載作品の最終行を掲載から落としておりました。大変失礼いたしました(管理人)