レイベリング理論に基づくまでもなく「名前」を付けて区別することはわかりやすくなるのだけど、そこまで細かく名前を付けてしまうと、マイノリティの中のマイノリティが発生してしまうので、弱者間の弱者イジメの様相を呈するからよろしくないと考える。
グラデーションをディジタルに置換したいのかな?
であれば、究極、すべてに別の名前を付ける必要があって、弱者として必要な連帯は失われる。
この構図は、極めて文系的だな。とも思う。
「x」を関数を「x」や関数として扱えないのは、極めて文系的なのだ。
グラデーションをグラデーションとして扱うことができないのは、扱うための論理が無いからなのだ。名前を前提にしているがために。
なので、グラデーションをグラデーションとして扱う論理を構築することこそが、優先順位高いんだろうなぁ。