最後、ライヴしたのは映画的に正解。音楽的には大失敗。つか、人間的に失敗。
だって、レコーディングで形にするって打ち合わせしてたじゃん!そこひっくり返してライヴするって、人間としてどうよ?
もちろん、フューチャした3人だから、人間的に失敗したくなるし、よって映画として成立したってのもあるかと。
あの組み合わせ以外じゃ、たとえばそれこそ劇中出てきたスチャだったら、音楽的に折り合っちゃって、映画的に失敗したと思う。
わかってる人なら誰でもあの3人で映画撮る歪さはわかるだろうし、実際、劇中も歪なままで、レコーディング終わって歪さが解けるベタな構造だったわけじゃないですか。
だからこそ、映画的なカタルシスを持ち出すにはライヴシーンが必要(ビジネス的な要請もあったかとは思うけど)だったわけで、音楽的にというか人間的に失敗したこと自体が映画的正解の価値を大きくしてるんでトータル評価は微妙。
唯一、劇中作った曲は浜崎や桜井のロストコントロールだったけど、大沢には違ったことか?
だから、映画的にオチとしてロストコントロールされてしまったんじゃなかろうか。
にしても、男桜井家の普通っぷりがたまらん。
あと、赤いスニーカがやっぱり欲しい。
んでもってさぁ、最初にARABAKIのシーンとか出てきちゃうじゃん。
あの場あのステージを見てた人間としてはちょっとドキッとしてしまうし、その後、真心のライヴシーンで中野サンプラザが出てきてさらにドキッ。
なんか、微妙にこっぱずかしいぜ。
たぶん、ARABAKIのシーンは探せば1mmぐらい映ってたんかと思ふ。