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ホー・ツーニェン エージェントのA唸るバクテリア2024/08/30

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東京都現代美術館ダブルヘッダー。
VRはパスして映像だけ「ホー・ツーニェン エージェントのA」を見ました。
ループし続ける映像にひたすら溺れ続ける会。
ループは秒単位から24時間ループまでで、ちょっとどうかしているのだけど、アニメーションのテクスチャが好きになれないので、どうしたモノかと。
それはともかく、そうか。東南アジアはヨーロッパのせいで生まれた概念か。
たしかに。なるほど。
そして、東南アジア人としてのホー・ツーニェンが、同時にここまで時間に執着した展示をしているのは、映像作家であることと、西洋時間に対応しなければならないことの拒絶反応かなぁと。
実際、冒頭セクションの展示には華僑のカレンダーが展示されている。太陽暦と太陰暦が混在するカレンダー。
それはちょっと古き良き香港映画にあるSFみがある。
この意味において、自分の継承時間ではない「西洋時間」で仕事をすることの違和提示が、トータルこの展示のメインかなぁと。
そして、ちょうど同時展示されている「翻訳できない わたしの言葉」との対応が見て取れる。
「翻訳できない わたしの言葉」から見た順が正解だったよな!と、ちょっとテンション上がる。
最初の映像「時間のT」が、実写とアニメの同時上映という常軌を逸した内容で、それはそれて面白かったのだけど、如何せん、アニメ化されることの漂白っぷりが、とてつもなく気持ち悪くて、わりと早めに退席する。
2本目は「ウタマ—歴史に現れたる名はすべて我なり」で、低音で発声される「タイガー」の真似をちょっと繰り返す。
周りの人に聞かれないように「タイガー」と何度か口にする。
どうしたって、東南アジアには日本の侵略痕が残っていて、それを脚色なく見せるホー・ツーニェンの手際は、変な映像であるからこそ、たぶん、アレな人たちは気付きもしない
虎は人になり、人は虎になり。
マレー虎は絶滅しかけていて、同時に山下奉文であり、日本も絶滅しかけている。
何時かは、誰もが絶滅する。
最後の映像「名のない人」はフルで見たのだけど、それまでの文脈から逸脱し、しかし、文脈に絶妙な接続をする、主に香港映画を中心にした映像リミックス。
ナレーションが無ければ絶対的に意図が通じないのだけど、ナレーションがあることで本来は絶対接続しない映像が意味を持つ。
結局文脈がすべてで、文脈は時間だ。だから、ホー・ツーニェンは映像作家なのだろうし、時間を象徴する映像ループを大量に展示しているのだ。
ループは時間が一方向に流れなければ成立しない。
もちろん、マラヤ共産党とかライ・テクを初めて知る。
第二次大戦の日本軍の振る舞いは知っているつもりだし、祖父がなにをしていたのかボンヤリ知っているのだけれど、じゃあ、東南アジア側がどうだったのかを知らない自分に気づき愕然とする
で、「翻訳できない わたしの言葉」の気付きを踏まえるならば、こうして視聴者を束縛する映像は極めて言語的だ。
はぁ。ダブルヘッダー超脳味噌使ったけど、いろいろまた考えることというか意識すべきことが増えてしまった。
こういう話は、さて、誰にすれば良いモノか・・・

ちなみに、こちらもスタッフロールがありました。
あと、こちらの展示も物販が弱いので、もっと買わせろと。結局、こっちはステッカーセットしかかわなんだ。
もうちょっと、頭のおかしいTシャツとか欲しかった・・・

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